お城には「山城」、「平山城」、「平城」といった分類があります。
これらは江戸時代の軍学者によって考えられた地形による城の分類法のひとつなのですが、もっとも一般的な分類ですね。
ざっくりいうと平地にある城が平城、高い山頂にある城が山城、その中間の小高い丘にある城を平山城と呼ぶわけですが、その境界がよくわからないんですよね。
たとえば「山城」に分類されることが多い安土城の公式パンフレットには、以下のように「平山城」の表記があります。
ここで注目したいのは
標高199mの安土山に築城させた平山城。
という部分で、標高199mなら山城ではないという説がある一方で、山城の代表でもある上杉謙信の春日山城がある春日山の標高はそれより低い180mです。
単純に「山の標高が何メートル以上なら山城」と決まっていればわかりやすいんですけどね(まあその場合でも地震等で標高が変われば分類も変わるんですが)。
また中世の山城は、岐阜城(標高329mの金華山に建てられた山城)のように山上に城郭、ふもとに居館を築いたそうなので、ふもとに居館があるかどうかで区別できるのかと思いきや、戦国後期には、山上の主曲輪に領主の居館を構え、中腹に家臣たちと人質としてその一族を住まわせた例もあるので、それもうまくいきません。
たとえば安土城の場合は巨大な城下町があったので、城下町の有無というのも条件として考えられるのですが、でもそうなると地勢による分類からはずれてしまうんですよね。
どうやらポイントは「比高」らしい
気になったので調べてみたのですが、いくつかの本を見た感じでは、山城はだいたい「比高100m以上の山上に築かれた城」を指すみたいです。
縄張の形態による分類「山城」
「山城」とは名のごとく、山の一部、または山全体を縄張として築いた城のこと。基本的には比高(盛土や崖などの高さと近くの平らな所の差のこと)100m以上の山地に建てられた城の形態を表す。
この山城の歴史は古く、飛鳥時代から奈良時代に朝鮮半島から「朝鮮式山城」の造り方が伝わったと言われている。
(後略) 『イラスト図解 城』P.52
ポイントは「標高」ではなく「比高」で、たとえば松本城は標高592mというかなり高地にありますが、盆地にあるため比高はほとんどないので「平城」に分類されます。
そこで現在、攻城団に登録されているデータをもとに標高・比高の数値と、それが山城・平山城・平城のどれに分類されているかを整理してみました。
「比高」で並べ替えてみると(項目名をクリックすると並べ替えることができます)、たしかに比高100mあたりに境界がありそうなことがわかります。
岡城(標高325m、比高95m)は山城、松山城(標高132m、比高90m)は平山城となっています。
(ちなみに攻城団で入力している「山城」などのデータはWikipediaやパンフレット、国土地理院のデータを参考にしています)
また、平城との境界は比高30mあたりに境界がありそうです。
犬山城(標高80m,比高40m)が平山城で、大坂城(標高31m、比高30m)が平城に分類されています。
ちょっとすっきりしてきた気がしますね。
もちろん山といっても傾斜がちがうわけですから、ゆるやかな傾斜の山なら多少比高があっても平山城に分類されるでしょうし、そもそもこうした分類はかなり無理があるわけですが、とりあえず「標高は関係ない」ということを確認できただけでもぼくとしては一歩前進した気分です。
まだまだ比高のデータについては空欄が多いので、今後がんばって埋めていきますね。
もし抜けているデータをご存知の場合は教えていただけると助かります。