明石城のガイドブックを制作するにあたり、国土地理院から戦前の地図を取り寄せました。
全国にあるほとんどの城址公園は堀が埋め立てられたり、土塁が削られたりと、けっこう改変がおこなわれています。明石城(現在の明石公園)も居屋敷曲輪と呼ばれた藩主居館のエリアは埋め立てられて現在は野球場になっていますし、ほかにも(かなり残っているほうですが)水堀が埋め立てられたりしています。
こうした公園化は明治時代からおこなわれていましたが、大規模な造成を伴うものは昭和に入ってからが大半です。逆にいえば、明治期の地図が手に入れば、それは江戸時代(少なくとも幕末頃)のお城の様子がわかるということです。
そうした地図の代表的なものが、大日本帝國参謀本部陸軍部測量局が測量した地図です。
1897年(明治30年)から1907年(明治40年)頃の地図が多く、国土地理院のサイトで検索すると明石周辺の地図もいくつかありました。冒頭の写真がそうなのですが、ありがたいことにその複写を入手することもできるので、手順を紹介します。
まず最初に国土地理院のサイトの「地図・空中写真閲覧サービス」を開いて、地図の中心となる場所を検索します。今回は「明石城」で検索しました。
次に、検索方法を「地形図・地勢図等」にセットして、測量年を「西暦1940年まで」で絞り込みます。
検索結果が表示されない場合は、地図を縮小表示(表示範囲を拡大)してみてください。その際に「地図と連動」にチェックを入れておくと動的に地図のリストが更新されて便利です。
地図を押すと対象範囲の色が変わるようになっています。
これで明石城が含まれるかどうかがわかります。明石は神戸を中心にした地図と、姫路を中心にした地図の両方に含まれてました。どちらの地図もはしっこなんですけど。
今回は、1898年(明治31年)の地図を選択します。
「謄抄本交付申請」を押すと申請画面が表示されます。
ここでは謄本と抄本それぞれの交付申請ができるのですが、郵送で受け付けてくれるのは謄本のみです。
近所に窓口がある方以外は郵送で謄本の交付をお願いすることになります。なお電子申請もできますが、ゆうパックまたは宅配便の着払いで送られてくるのでたぶん送料が高くなると思って、ぼくは郵送での申請にしました。
画面に沿って申請者情報を入力すると、申請書が作成されるので、あとはそれを印刷して、郵便局で収入印紙を買って、返送用の切手を同封して送るだけです。
返送にかかる郵便料金も上記のページに書いてあります。ぼくの場合は1枚だけだったので290円でした。これも四折りにしてもいい場合は120円ですむのですが、せっかくならきれいなので見たかったので290円払いました。そうすると筒に入って届きます。
ぼくの場合は、だいたい10日程度で届きました。
この頃はまだ野球場もなくて居屋敷曲輪の堀もきれいに残っているし、西側の中堀も剛ノ池までつながってるし、山里曲輪には樹木屋敷の池もありました。
今昔マップ
じつはわざわざ取り寄せなくてもインターネットで見ることもできます。
それがこの「今昔マップ」で、埼玉大学教育学部の谷謙二研究室が公開されています。
こんなふうに左右2画面で地図を並べて表示することができます(1画面や4画面表示にも対応)。
選択できる地図の中に大日本帝國参謀本部陸軍部測量局が測量した地図も含まれているので、これを使ってチェックするのがいちばん早くて便利でしょうね。
たとえばこれは江戸城(皇居)を中心にした都心部の地図ですが、東京湾の埋め立ての様子などもわかったりします。
なかなかおもしろいのでいろいろ見てみてください。