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【クーデターで読み解く日本史】慶喜の奇策を鮮やかに葬った薩長の逆王手――王政復古

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1867年(慶応3年) ○新政府 ×旧幕府

討幕の勅許を獲得しながら、大政奉還によって武力討幕の機会を失った薩摩藩・長州藩、そして一部公家ら討幕派は、新たな方策を模索することになる。それが「王政復古(おうせいふっこ)」クーデターであった。

1867年(慶応3年)12月、旧幕府方の軍勢との衝突を警戒して薩摩藩らの兵が周辺を固める中、御所で王政復古の大号令が発せられた。これによって徳川氏と幕府を排除した新政府の設立が宣言されたのである。
さらにその夜、新政府の重職についた人々による小御所会議(こごしょかいぎ)が開かれ、慶喜に辞官納地(じかんのうち)――役職と領地の一部を返上――させる決定がなされた。これは徳川氏が新政府にかかわるための力を放棄しろと迫るのに等しく、王政復古の大号令とあわせて討幕派による逆王手といってよい出来事であった。

この際、幕府よりの立場を示していた土佐藩の山内容堂(やまうち ようどう)は激しく抵抗したが、公家の岩倉具視(いわくら ともみ)が天皇を持ち出して反論し、また薩摩藩の西郷隆盛(さいごう たかもり)が短刀をちらつかせて実力行使を示唆したことで押し切られた、という。

これによって江戸幕府は名目上消滅したわけだが、まだ新政府側の勝利と決まったわけではなかった。
むしろ強引なクーデターが諸藩の反発を招き、情勢は旧幕府有利へと傾きつつあったからだ。そこで新政府は旧幕府を挑発して戦端を開かせ、実力によってこれを打ち破る道を選ぶ。
結果、鳥羽・伏見の戦いで勝利し、続く戊辰戦争で旧幕府方勢力を駆逐した新政府は、列強諸外国に伍するだけの力を持った国を作り上げるべく明治維新に邁進していくことになるのである。

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