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【クーデターで読み解く日本史】逆転の発想で徳川の復権を狙った慶喜の一手――大政奉還

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1867年(慶応3年) ○朝廷 ×江戸幕府

二度目の長州征伐が失敗に終わったことによって幕府の力が衰えていることは明白となり、長州藩や薩摩藩を中心に討幕の動きがさらに進んでいった。

一方、薩長同盟の締結にも尽力した土佐藩の坂本龍馬は武力ではなく平和的な形での幕府体制の解体と新体制の構築を模索し、船上で作ったことから「船中八策(せんちゅうはっさく)」と呼ばれる提案書をまとめた。
ここで示された思想が、幕府が長年保持してきた政権を朝廷に返却し、新政府を発足させる「大政奉還(たいせいほうかん)」である。

この大政奉還案は土佐藩の重鎮である後藤象二郎(ごとう しょうじろう)から前土佐藩主である山内容堂(やまうち ようどう)へ、そして将軍・徳川慶喜へと伝えられる。
そして、これを受け入れた慶喜は朝廷に政権の返還を申し出た。1867年(慶応3年)10月のことだ。
これによって260年を超える江戸幕府による統治は名目上終わりを迎えたことになる。しかし、現実には数百年の間実際の統治を行ったことがない朝廷に政権担当能力はなく、引き続き幕府が行政を行うことになった。

そもそも、慶喜としては討幕派に白旗を揚げるために大政奉還したのではなくむしろ逆で、来るべき天皇を中心にした新政府において徳川氏が重要な役割を果たすために、自ら政権を返し、主導権を握ろうとしたふしがある。
大政奉還は追い詰められた幕府による逆転の手だったのだ。

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