先週のNHK大河ドラマ「どうする家康」ではいわゆる「神君伊賀越え」の回でした。
SNSを見てると賛否両論がわかれてる今回の大河ドラマですが、ぼく自身は毎週楽しく見てます。もともと古沢良太さんのドラマが好きだったのもあるけど、今回も傭兵集団である忍者との交渉を損得で進めるシーンや百地丹波の「口車に乗った」のセリフもよかったですね。
セリフと言えば「やれたから、やった。までのことかと」や、本多正信の三河より追放されたけど、遠江からは追放されてないという屁理屈も最高でした。
そんな「どうする家康」で「忍者考証」を担当されている三重大学人文学部の山田雄司先生と、「ぶらり徳川家康の城跡+忍びめぐり」(マコト出版)を編集された佐藤強志さんをゲストにお招きして、忍者についてお話を伺いました。
すでにレギュラー化している榎本先生を別にすれば、攻城団テレビ初のゲスト収録回となります(生配信ではたかまる。さんにも出演いただいたので)。
伊賀と甲賀は困ってれば助け合うのか、それとも「忍者ハットリくん」のように犬猿の仲なのかとか、忍者は黒装束に覆面だったのかとか、忍者のことを質問させていただきました。
佐藤さんからこの企画をいただいたときに思ったのですが、忍者像の変化は「軍師」に似てますね。軍師も諸葛孔明のイメージが強いのですが、じっさいにはもっと多面的でさまざまなタイプの軍師がいたように、忍者もアニメやドラマで描かれてきたイメージと実像とのギャップが明らかになってきています。
「神君伊賀越え」についても、
- おそらく服部半蔵はあまり貢献してないはず。ドラマの展開どおり伊賀においてそこまで知名度も影響力もなかっただろう。
- 東京の愛宕神社に勝軍地蔵像が祀られており、その由来が多羅尾光俊から家康がもらったとされることからも、多羅尾家の貢献はまちがいなさそう。
- また馬を使った可能性が高く、であれば最短ルートを通ったと考えるのが蓋然性が高い。本能寺の変翌日の6/3は雨が降っていたので移動距離が稼げなかったのではないか。
といったお話も伺うことができました。
収録前に少し山田先生とお話させていただいたのですが、先生が攻城団をご存知で見てくださってるのがうれしかったです。
誠実なお人柄で、お話も上手なのでまだまだ質問したかったのですが、今回は時間が足りなくて聞けなかったことがいっぱいあります。
いま三重大学では文系理系の垣根をこえて、忍者をさまざまな角度から研究されています。その成果がまとまった本が出てるのですが、おもしろいです。
忍者というのはよくわからないからこそ魅力的で、研究材料の宝庫だというお話も印象的でした。
そんな忍者研究の最先端の話が聞ける「第6回国際忍者学会大会(愛知大会)」が9月に中部国際空港セントレアで開催されます。学会員じゃなくても参加できるそうなので(一般2000円)ご興味のある方はぜひ。
ぼくももっと忍者について勉強して、いまよりも知識が身についた状態であらためてお話を伺えればと思いました。
まずは収録までに読めなかったこの分厚い「忍者学大全」を読まなくては。
あまり自分から声をかけていく性格じゃないので(今回も佐藤さんからお声がけいただきました)、今後はちょっとずつ勇気を出して攻城団テレビへの出演をいろんな方に依頼していければと思いました。
とは言いつつ、ほんとに自分から声をかけるのが苦手なので、少しでも興味がある方はぜひご連絡ください。お城の話、歴史の話、攻城団テレビで扱えそうなテーマであれば、喜んでお迎えします。