この連載では武将だけでなく、多くの僧侶を紹介している。
それは軍師を「特殊技能を用いて戦国大名を助けたブレーン」と位置づけているためだ。この時代、僧侶は知識階級であり、大名たちも彼らの知識を必要としたからである。
そして、そのようなブレーンとして活躍した僧侶の中でも、特に名の知れた人物が、今回紹介する南光坊天海である。
フィクションで「正体は明智光秀」や「江戸を呪術的知識に基づいて結界都市にした人物」などとして登場することも多い怪しげな男だが、その実体はなんだったのか。
意外と知られていない。
天海は陸奥の生まれで、名門・蘆名氏の一族であったとするのが通説である。
若い頃は各地を放浪して修行し、またいくつかの寺で住持も務めた。
家康と接点を持つようになったのは1607年(慶長12年)頃だ。
この頃の家康は既に関ヶ原の戦いを終えて天下人となっていた。
彼は征夷大将軍の座は息子に譲ったが、それでも権力はしっかり握って、江戸幕府を如何に盤石とするかに頭を悩ませていた。
その中で家康は天海を見出し、大いに力を借りたのだ。
といっても、家康の傍にいた僧侶は天海一人ではない。
彼は得意分野ごとに僧侶を使い分けた節がある。
こんなところも、天海を軍師、すなわち「特殊技能を持ったブレーン」として紹介した理由である。では、天海の得意分野とはなにか。
それが宗教であった。
当時、天台宗は宗教界でも有数の力を持った巨大勢力であった。
総本山は比叡山である。これに対し、天海は比叡山に匹敵する権威として東叡山寛永寺を作り、天台宗の力を二つに裂いてしまった。
これにより、天台宗が政治に干渉する力はひどく減じてしまった。
長い間、朝廷や武家などの政権は宗教勢力の干渉に苦しんでいたが、江戸幕府は天海の活躍もあってその点で有利であったわけだ。
他にも、天海は深い知識を持ち、また非常な人格者で罪人の復権に奔走した、という。
これらの事情から歴代将軍は彼を寵愛し、重く扱った。
だからこそ、その名が今も残っているのだ。