名護屋城にいってきました。玄界灘を望む城址のスケールは壮大でした。
天下人が権力にものをいわせて諸大名に城を築かせる――のちに江戸幕府が天下普請として同じことをやりますけど、この名護屋城をモデルにしたのかもしれませんね。
それではいつものように写真いっぱいのレポートです。今回は天気に恵まれました。
今回はクルマではなかったので、唐津市内からバスで向かいます。
呼子(よぶこ)いきのバスに乗り、45分くらいでしょうか。「桃山天下市」という道の駅の前にあるバス停で降りて、少し坂をのぼります。
「真田丸」に乗っかったのぼりがたくさん立ってました。
真田幸村、在陣の地。
ほとんどの大名はここに来てるので、「在陣の地」っていっちゃうとけっこうな人数になるよなあと思いつつ、でもまあウソはついてないですね。
真田親子はたしかに在陣してて、しかも朝鮮にはわたらなかったそうです。
(名護屋まで来たけど渡海してない人数となると家康などわずかしかいないです)
いきなりの石垣。どどん。
けっこう不意打ちみたいにあらわれますよ。
隣接する佐賀県立名護屋城博物館に先に立ち寄ろうと思ってたんですが、駐車場から見えるのがこの石垣ですからね。まあ見事。
名護屋城博物館です。
県立だけあって立派な建物でした。しかも無料ですからね。
展示内容もすばらしかったです。復元模型もありますし、解説パネルも充実していました。
こうやって見るとほんとうに日本全国の大名がここに集結していたことがよくわかりますね。小さな文字で書かれた名前がどれもビッグネームで、なぜこの大名をここに配置したんだろうと考えるだけでひと晩語りあえそうです。
加藤清正や福島正則といった秀吉子飼いの武将だけじゃなく、この時点で生きていた有名武将はほとんど書いてありました。
最先端の位置には増田長盛や北条氏盛、島津義弘の名前があります。上杉景勝のとなりには直江兼続の名前があります。そのそばには織田秀信や真田昌幸がいますね。秀信はこの位置なのに、織田信雄はけっこう離れた内陸部にいます。
徳川家康は名護屋浦という内湾部の両側に陣がありました。ほかにも藤堂高虎も2カ所に名前が書いてありますね。
このすべての陣跡をまわろうと思ったら数日はかかりそうです。
ほかにも安宅船と亀甲船の模型もありました。
これだけの展示が無料で見学できて、しかも一部をのぞいて撮影可となっています。
それではいよいよ城址に向かいます。
いちおう帰りのバスの時間もチェックしておいたほうがいいですよ。
大手門跡も石垣はしっかり残っています。
きれいに整備されているので歩きやすいです。
見晴らしもいいですしね。
奥に橋がかかっていますが、こちら側とあちら側に家康の陣がありました。
三の丸は木が生い茂っていて日陰の部分が多いです。
ここには唯一の井戸が残っています。
三の丸から本丸にいけるんですが、馬場のほうにまわりました。
ここの石垣もすごいです。
風化してはいますけど、櫓台も残っています。
二の丸です。二の丸はちょっとした広場みたいになっていました。
建物があったことを示す礎石跡がわかるようになっています。
この石垣にのぼってみます。
おそらくこの下あたりが真田昌幸の陣跡じゃないかと思います。
当時はもっと見晴らしが良かったんでしょうね。
では本丸のほうに戻りましょう。
これが二の丸から見た本丸の石垣です。高くなってる部分がちょうど天守台ですね。
このあたりの石垣は崩れちゃってるんですけど、打込み接ぎの石垣です。
天守台の真下、二の丸のとなりにある「遊撃丸」です。
名前の由来は明国の「遊撃将軍」沈維敬が講和使節として来日した際に滞在した宿舎があったことから名付けられたようですね。
この日は芝刈りがおこなわれていて、とてもきれいでした。
振り返ったところ。天守台に誰かいますね。
いよいよ本丸です。
この日はほんとうにいい天気で、風も吹いていて気持ちよかったです。
本丸の中央辺りに名護屋城址の石碑があって、奥に天守台があります。
天守台といっても本丸との高低差はほぼありませんでした。
規模もそれほど大きくは感じなかったです。
でもここに5重6階、地下1階の天守があったんですよねえ。
天守台からの眺めです。下がさっきの遊撃丸で、奥に見えているのが馬渡島(まだらしま)ですね。
この日は残念ながら対馬までは見えなかったです。
名護屋城のVRアプリがあったので遊んでみました。
この景色が。
こうなります。
この景色(本丸大手門跡)が。
こうなります。
安土城や上田城など、これまでいくつかのお城でこの手のVRアプリを試してきたんですけど、現地で見るかぎり使ってる人がとても少ないです。
あと現地で自分のスマホにインストールしても、おそらく二度と起動しないですよね。
なんだかとても惜しいなあといつも感じてます。
ガイドが聞ける(読める)というのはすごくいいと思うんですけどね。案内板は古いのだと文字が読めなかったりするので。
せっかく名護屋城博物館というすばらしい施設があって、そこには解説パネルや復元模型などの膨大なコンテンツがあるのだから、それを活かせるといいですよね。
いまも継続的に発掘調査もされているようなので調査結果の概要(写真やかんたんな解説)をプッシュで送ってくれるとか、月に1回アプリから視聴参加できるウェビナーを開催するとか、関係を途絶えさせない仕組みはつくれるはずなんです。
とくに名護屋城はほんとうに広くて、はじめて訪問した人は「こんなに広いとは思わなかった。ぜんぜん時間足りなかったー」と後悔しながら帰るケースが少なくないと思うんです。
今回ぼくが数時間で見学したのは名護屋城址といってもほんとの中心部分だけで、各大名の陣跡も見て回ろうと思ったら3泊4日とか必要かもしれません。
ただ広いだけじゃなくて、陣跡は大名ごとに個性が出てたりするそうなので見る価値があるんですよね。
学ぶ価値があって、見る価値もある。建物こそ残ってませんが、お城好きならぜったいテンションが上がるはず。
こういう城址の楽しみ方を提案していきたいし、ぼく自身率先して楽しんでいきたいなあと思いました。
というか名護屋城はぜったいまたいきます!(ぜんぜん時間足りなかった!!)
というか、みんなでツアーしませんか?