「武士道とは死ぬことと見つけたり」――あまりにも有名な『葉隠』の一節である。だが、この言葉の意味を私たちは正確に理解できているであろうか? 『葉隠』に描かれている主張をきちんと受け止めている人がどのくらいいるのだろうか?
……この『死ぬことと見つけたり』という作品は、『葉隠』から強い影響を受けている。そもそも作品の冒頭は「隆慶一郎がいかに『葉隠』と出会ったか」というエッセイ的文章になっているくらいだ。太平洋戦争で徴兵された彼は愛する詩集を持ち込むためのガワとして『葉隠』を用い、結局『葉隠』も戦地で読むことになった。それ故にいわゆる精神的指南の書としての『葉隠』とは違う理解・解釈をすることになった――という冒頭部分が既にして破格に面白い。
そんな事情で書かれた作品だけに、本作は『葉隠』の小説化ではない。江戸時代初期、『葉隠』を生み出した佐賀藩鍋島家に次々巻き起こる騒動を物語の筋とし、二人の武士がそれらの問題に立ち向かっていく様を描いている。
一人は斎藤杢之助。鉄砲の達人で狩りの名手、そして何より「死人」である。鍋島武士に伝わる「毎日朝起きると死のイメージトレーニングをする」ことで何事にも動じぬ精神を獲得した彼は、平然とした顔でとんでもないことをやらかす。それは時に殿さまを激怒させるような無茶苦茶なので、お城勤めなどとても出来ぬ。故に浪人として捨て扶持をもらっている。
もう一人は中野求馬。鍋島の名門・中野一族の生まれだが、父が殿さまを諫めて切腹したせいでエリートコースとは言い難い。杢之助とのつながりを武器に出世していく彼は、死人的な異常な価値観と、太平の価値観の両者を備え、その境目で揺らぎながらより良いものを探していく人だ。
隆慶一郎は『葉隠』を読む中で武士のあり方として二つのアーキタイプを見出し、そこからこの二人のキャラクターを作り出したという。そしてこのアーキタイプは同時に、武士というものの二つの側面でもある。戦場で活躍するためには生に執着してはいけない。死人にならなければならない。だが、いつも「死んで」いては国家を統治することはできない。太平の時代なら尚更だ。日本における武士は軍人階級であると同時に統治者・役人でもあるので、この二つの顔の間で引き裂かれることになる。
ある読者は嵐の中に傲然と立つ一本の木のような杢之助の強さに惹かれるだろうし、ある読者は柳のように風に翻弄されつつ決して倒れぬ求馬の強さに惹かれるだろう。もしかしたら、久しぶりに読んだら印象がまた変わるかもしれない。ヒーローのカッコ良さは隆慶一郎作品全体に通じる魅力だが、この作品は二人ヒーロー性ともいうべき性質のおかげでまた一味違うものになっているのだ。
残念ながら、この作品も未完で、しかし脚本・シノプシス的なものだけは残されている。その中で杢之助と求馬はそれぞれの生き方に相応しい死を迎える。彼らが最後まで彼ららしくその物語を終えることを知れたのは大変素晴らしいのだが、やはりそれを隆慶一郎の筆で読みたかったと無念でもあるのだ。