江戸期に名を馳せた刀鍛冶の一人、源清麿。彼は自決で人生の幕を下ろしたが、最後に遺言を残した。曰く、若き日に金欲しさで作った数打ち(量産品)の刀を壊してくれ――と。この遺命を受けたのが本作の主人公、清麿の弟子鬼麿である。元は山窩という日本古来の山岳民族の生まれだ。鬼の名が相応しい巨体の刀鍛冶である彼は、同時に刀の試し斬りから来る異類の剣術の使い手でもあった。
刀はどこにあるのか。清麿は京都から江戸へやってきた。その道中にあるはずだ。鬼麿は師匠との思い出を記憶の中に探しながら、清麿の旅路を中山道、野麦街道、丹波路、山陰道と逆に辿る。この旅は当然ながら困難を極めた。泰平の世において刀は武士の魂だ。そう簡単には手放してくれぬ。清麿の名声が高まりつつあったから尚更である。さらにそのうち鬼麿あるいは刀の持ち主がトラブルに巻き込まれ、さあこの困難を如何に剛剣で斬り払うか、ということになるわけだ。
トラブルはそれだけではない。何故か鬼麿を、ひいては清麿の刀を追って、伊賀忍びが姿を見せ始める。かつての清麿に何があったのか? 鬼麿は無事目的を達成することができるのか? 道中で道連れになる山窩の少年・たけや謎の女・おりんの運命やいかに……?
テーマとしてあるのは、「職人の誇り」だ。師の清麿も、弟子の鬼麿も、まともな暮らしができる良識的な男とはとてもいえない。この師弟、かたや黙っているだけで女が寄ってくる美男、かたや鬼の如き強面と見た目は全然違うのだが、己のルールに従って思いのまま生きているところはよく似ている。時に酷薄なところも見せるし、時に人を救う優しさもあるのだ。
そんな彼らの背筋に一本通っている芯が、「職人の誇り」だ。いやもっと幅広く、「大人の誇り」と言ってもいいだろう。作中では「恥のある者」という言葉が使われる。恥を知っていたら未熟な品物(例えば、かつて打ってしまった駄作の刀のような!)はこの世に残しておけない、というわけだ。
その誇りに殉じ、また他者の誇りを理解して共感する心を持っているからこそ、鬼麿も、清麿も、ただのアウトローには終わらないカッコ良さがある。物書き、すなわち職人の端くれである私も、彼らのような職人の誇りを持ちたいと心の隅に置きながら、今日も生きている……ということにさせてほしい。