明智光秀というのは実によくわからない人である。
いやもちろん、戦国武将・明智光秀の事典的な概略はよくわかっている。わからないのは彼のパーソナリティ、人格、性格という部分だ。
美濃の名門土岐氏の庶流明智氏の生まれだというが、織田信長と足利義昭の間を取り持つ役で歴史にその顔を現すまで、どこで何をしていたのか今ひとつ定かではない。義昭と縁を持つに至ったのは彼を保護する朝倉の家臣であったからというが、どんな経緯で朝倉家に辿り着いたかわからないのである。側室を持たない愛妻家とか、鉄砲の名人とか、彼についての逸話、伝説も数限りなくあるが、それらもどこまで信じていいものか。何より性格・人格について、「先進的な信長と対照的な、保守的な人であった」というイメージが根強いが、これも根拠が怪しい。
どうしてこうなるのか。そもそも戦国時代のことは信憑性のある資料に乏しく、私たちの知るこの時代は江戸時代に成立した軍記物など誇張が施されたフィクションによってもたらされたイメージが強い、という問題がある。光秀も同じだ。
特に彼の場合、まず「信長を討った男」という事実ありきで、そこから「なぜ光秀は信長を討ったのか、討たねばならなかったのか」というミステリーがついてまわる。
つまり「信長を討つような男はどんな男だったのか?」という問いかけがあり、それに応える形で「朝廷(あるいは将軍足利義昭、あるいはイエズス会など)とつながりを持てるような高い教養、もしくは保守的な精神性を持つ光秀」のイメージが生まれたのではないか、と考えられるのだ。これは小説的な発想(どうしたら事件を起こすのに相応しい設定を与えられるか? どうしたら物語が面白くなるか?)であって、確からしいと思える証拠を積み上げる学問的な発想とは少々離れているといえよう。
なんにせよ、光秀という男を考えるときに、主君・織田信長との関係が欠かせないのは間違いない。光秀からすれば、朝倉義景→足利義昭と仕えてきて織田信長を新たな主君と見出すにたる何かを見つけたはずなのだ。信長からしても、柴田勝家や丹羽長秀、あるいは羽柴秀吉といった以前からの家臣たちを差し置いて光秀を抜擢するには、何かしらの有用性を見出したことであろう。
2人にあったのは野心の合致であったのか、性格的な共通点(いわゆる「ウマが合う」)であったのか、それとも天下の行く末について理想や意見が共鳴したのか。今となっては答えがわからぬことだが、2人の関係が決裂したと知っている私たちは、それ故に想像の翼を無限に広げることができる。「本能寺の変」をクライマックスとする戦国時代ものエンタメの人気が収まらぬのには、そんな理由もあるのだろう。
2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』もまた、そのクライマックスは本能寺の変になるであろう。なにしろ主人公は、本能寺を人生の絶頂としてその後間も無く破滅の坂を転げ落ちていく明智光秀なのだから!
このドラマが光秀を、なかんずく光秀と信長の関係性をどう描くか? どんな物語を積み上げるか? 1年間楽しく追いかけてみたい。