NHK大河ドラマ「麒麟がくる」がついに終わってしまいました。
コロナの影響もあり、途中で中断もはさみながらの全44回の放送となりましたが、攻城団では中断期間中も含め、榎本先生に毎週コラムを書いていただきました。
ぼくも負けじと「『麒麟がくる』の城めぐり」や「麒麟がくる前に」というタイトルでコラムを連載しようとしたのですが、前者は5本、後者は9本しか書けず、プロの作家のすごさを実感することとなりました。
ほんとは「麒麟がくる」の城めぐりは攻城団らしく、全国のいろんなお城を紹介できると思っていたのですが、最初の美濃編で力尽きていて、一乗谷城や槇島城などを紹介できなかったのは心残りです。
という反省はさておき、ぼくは明智光秀という武将は過小評価されている、と以前から思っていました。
これまでも織田信長や豊臣秀吉が大河ドラマの主人公になるたびに、光秀は「いい感じのヤラレ役」として登場してきましたが、曲がりなりにも信長を打ち倒した唯一の戦国武将である光秀が凡将なはずはなく、直前まで織田家臣団の中でも筆頭と呼べる地位にあった彼がなにを目指してクーデターを起こしたのか、また有能なはずの光秀がなぜ事件後にあれだけドタバタして、のちに「三日天下」と呼ばれるような短期間で討ち取られてしまったのか、という思考や感情に興味があったので、放送前に「乱世を生き抜く若者たちの青春群像劇を描きたい。」と制作側からコメントがあったときは興奮しました。
じっさい(感染予防が主な理由だと思いますが)合戦シーンはほとんどなく、戦国武将としての光秀の大手柄ともいえる丹波攻略はなんとなく終わっていて、昔ながらのドンパチを期待していた層にとっては物足りなかった部分もあったかもしれません。
でも信長が掲げた「天下布武」の解釈が「武力による日本統一」から「畿内周辺に室町幕府の権威を取り戻す」と変わってきたように(異説もあり)、今回のドラマは武力以外の戦国時代のありようを紹介するには十分でした。
幕府や朝廷の弱体化、政所執事という役職、比叡山や延暦寺といった戦国大名に匹敵する存在、そういった戦国時代の基礎知識みたいな内容が随所に盛り込まれていたのはとても楽しかったです。
榎本先生には「明智光秀と○○」というタイトルで、とかなりむずかしい縛りで毎週いろんな登場人物についてのコラムを書いていただきました。
ドラマでは描かれなかったことも含めて、「麒麟がくる」をより深く味わえるような人物列伝になったと思います。とくにコラムタイトルの「あるいは……」の部分が毎週楽しみでした。個人的には秀吉の回の「あるいは『二人の余所者』」、政所執事・摂津晴門の回では「あるいは能吏同士」あたりがとくにお気に入りです。
また長女「お岸」の記事はネット上に情報が少ないこともあり、彼女が登場するたびに多くの人に読んでいただきました。
そんな榎本先生に、最後に一年を振り返ってのコメントをいただきました。
無事完走されたことをお祝いしつつ、読んでください。
「麒麟がくる」の思い出にひたりながら、一年強におよぶ連載を再読してみてください。
ドラマそのものの思い出もいろいろあるのですが、一番印象に残ったのは実に斬新な「織田信長の解釈」でありました。織田信長といえば、かつて多くの人にとってのイメージは「改革者」であり「魔王」でした。新しい政策を次々と打ち出し、旧来の体制を破壊し、新しい日本を作ろうとして、そして失敗した人として覚えている人は多いはずです。
ところが、近年の研究ではこのような信長像は多くが否定され、実態としては「旧来の価値観や体制を利用するのがうまかった男」だったのではないかと考えられるようになりました。
こうなりますと、ドラマを作るのは難しくなります。魔王というパブリックイメージと、最近の研究成果をどうすり合わせるかが制作者の腕の見せ所ですし、信長がメインどころで出てくる大河ドラマの注目ポイントとさえ言えます。
特に今年、明智光秀を描くなら信長は絶対に欠かせませんし、なんなら光秀の情報が少ないだけに「信長から逆算して光秀を描く」ことが予想されましたので、いよいよ楽しみでした。このワクワクは完全に応えてもらえた、といっていいでしょう。
信長は魔王ではなく、承認され、賞賛されることを求めるある種のモンスターとして。そして、光秀は己の理想のためにその信長をけしかけてしまった人間として。これまでに見たことのない、斬新でいて現代の私たちにも理解できるキャラクター造形は、実に見事でした。一年間、いろいろなことのあった年ではありましたが、大変楽しませていただきました。
「どうする家康」で同じような連載をさせていただくことになっておりますので、そちらでお会いできればと思います。よろしくお願いします。