日曜日の「日本城郭検定」のテストに向けて、このところ毎日試験勉強をしているのですが、いろいろと新しいことを知るきっかけになっています。
公式問題集にこんな問題がありました。
昭和時代には多くの天守が鉄筋コンクリートで外観復元されましたが、木造天守は復元されませんでした。その主な理由はどれでしょう。
- 木造の巨大な建築は規制されていた
- 木造の技術がなかった
- よい木材がなかった
- 鉄筋コンクリートだと安くできた
どれだと思いますか?
正解は「木造の巨大な建築は規制されていた」です。
建築基準法は1950年(昭和25年)に施行されましたが、この中で城の天守は博物館などと同じ扱いになる(同じ安全基準が求められる)そうです。そのため、昭和時代に復元された大きな天守はすべて鉄筋コンクリートになったのですが、平成になって、大規模な木造建築でも安全な建築技術が開発されたので、いまは木造による復元も可能になったとのことです。
なるほど。建築基準法が関係していたとは。まあたしかに建築物だから規制の対象になるのは当然ですね。
それにしても江戸時代より前から建築する技術はあったわけで(だから建ってたんですし)、戦国時代や江戸時代の築城技術ではいまの安全基準をクリアできないんでしょうね。藤堂高虎もびっくりです。
ちなみに1991年(平成3年)に白河小峰城の実質的な天守であった三重櫓が木造で復元されたのが、この木造復元のはじまりだそうですね。
これまで大阪城(1931年、昭和6年)や名古屋城(1959年、昭和34年)が鉄筋コンクリートで復元されていて、がっかりされた方も多いんじゃないかと思います。エレベーターもありますしね(まあエレベーターはバリアフリー化なんでしょうけど)。
じっさい木造で復元されている掛川城(1994年、平成6年)や大洲城(2004年、平成16年)は雰囲気があってカッコいいですし、ぼくもせっかく復元するなら(お金もかかるんですけど)木造でやってと思ったひとりですが、そもそもつくれなかったんだということがわかってすっきりしました。
ということで、これからはお金の問題だけになったといえるわけで、全国の天守の木造復元のためにぼくらも寄付などで支援していきたいですね。
あと週末の試験、みんなでがんばりましょう!