榎本秋の「江戸時代のお家騒動40選」
以前も人吉藩の「竹鉄砲事件」を紹介しましたが、これはそれよりさらに前に起きた筆頭家老・相良清兵衛の専横によるお家騒動「相良清兵衛事件(=御下の乱)」です。舞台となった屋敷跡に現在、人吉城歴史館が建てられており、謎の地下室が発見されました。
信長に愛され、秀吉からも重宝された蒲生氏郷は伊達政宗より10歳ほど年上なので、抑え役としては適任だったのでしょう。しかし家康の娘を嫡男の正室に迎えても近世大名として存続できなかったというのは、いかに藩を治めることがむずかしかったかを表してい…
最終的に改易となってしまった最上家も、親子そして一族内の権力争いがお家騒動に発展したものでした。ただしこの騒動ではクーデターを起こした側の楯岡光直は細川家で厚遇され、山野辺義忠ものちに水戸藩の家老になるなど破格の扱いを受けているので藩主・…
江戸時代のお家騒動は取り潰しを免れるため小規模で終わるものがほとんどでしたが、ときに誰にも制御できぬまま大規模闘争に発展してしまったケースがあります。
藩主の一門と家老たち重臣はたびたび衝突しましたが、なかでも人吉藩・相良家で起きた「竹鉄砲事件」は藩主の暗殺を家老が隠蔽するというひどいものでした。結果として、相良家の血統は断絶してしまうことになります。
小姓上がりの家老が専横を極めるというのはわりとよく聞く話ですが、磐城平藩内藤家の家老・松賀族之助が起こした一連の騒動はかなり度を超えていたようですね。
徳川四天王の筆頭・酒井忠次の孫であり、酒井忠勝の弟にあたる忠重はなかなかエキセントリックな人物だったようで、主家の乗っ取りを画策しました。その後、2万両の手切れ金で追い出されたものの何者かに襲われて殺されています。
長家といえば元畠山家の家臣で、能登が信長の支配下となった際に信長から直接領地を与えられていたこともあり、前田家としても手を出しづらかったようです。そんな状況下で起きたのが浦野事件でした。
在地領主のまま大名として存続した大名家のひとつに大村藩・大村家がありますが、秀吉そして家康に重要な収入源の長崎港を奪われたため、財政難におちいっていました。その解決策として一族の領地を召し上げるというのは幕府との事前交渉なしには実現不可能…
右腕となる有能な部下にトップの座を奪われるというのは現代でも企業や政治のなかで見られますが、状況が変わったからとはいえ勝手な都合で排除される部下にしてみればたまったものではないですよね。
大谷吉継といえば人気武将のひとりですが、彼が敦賀2万石(のちに加増され5万石)の大名となったとき、断絶した前城主・蜂屋頼隆の家臣を引き継いだそうです。居抜きで大名となった珍しい例ですね。
戦国時代、江戸時代に出世するにはまずもって本人の実力が必要なのですが、それ以上に運も重要です。有馬豊氏は名門の血筋でありつつ、さらに大きな運も持っていたようですね。
佐賀城にいくとこの「化け猫(猫化け)騒動」についてガイドさんが話してくれます。話を聞くかぎり、理不尽に恨まれた鍋島家はかわいそうだなと思うのですが、歌舞伎の題材になるほど広まるとは誰も思わなかったでしょうね。
お家騒動のパターンのひとつに、「主家異動パターン」があります。もっとも有名なのは龍造寺氏と藩主の座を交代した鍋島騒動ですが、ほかにも例があるそうです。
伊達政宗の孫・綱宗の時代に起きたのが有名な伊達騒動です。綱宗はかなり破天荒な藩主だったようですが、彼が隠居したあとの権力争いが刃傷沙汰にまで発展してしまします。
今回は小休止です。お家騒動が悩ましいのは単純に善悪で整理できない点にあります。勝ったほうが正しいかというとそうでもなく、むしろどっちが勝っても藩の弱体化につながるケースが大半であることが悲劇ですよね。
出る杭は打たれるといいますが、濡れ衣に近い処罰を受けたのが本多正純です。釣天井の事実などなかったのに「宇都宮釣天井事件」と後世にまで語られるのは不憫ですね。
前回の大久保長安事件の余波のひとつが里見家の改易です(表向きは移封)。その背景として「大坂の陣」に向けての見せしめと、江戸に近い外様大名を排除したいという幕府の狙いがあったようです。
大久保長安事件はまだ家康が存命中に起きた幕府による粛清事件ですが、その背景には長安を庇護する大久保忠隣と本多正信の派閥争いや遺恨があったようです。大久保家は御家断絶は免れたものの、ここから全国を転々とするんですよね。
初期の江戸幕府の不安定さの要因として、幕府自ら強権的に大名に圧力をかけていったことと、家康から秀忠への(とくに大御所・家康死去後の)権力構造の変化にともなう派閥争いがあります。出る杭は打たれる、というのは現代でもよくあることですが、命や家…
江戸時代に各大名家で起きた多くのお家騒動はおおよそ3つの特徴があるそうです。武力衝突ではなく政治闘争であることや、幕府の介入がしばしばあったことなど、お家騒動の顛末を見る上でのポイントを整理してもらいました。