下剋上とは異なる「主家異動パターン」
3番目は「主家異動パターン」――すなわち、ひとつの勢力の中で「主」と「従」が逆転し、家臣が主君一族に取って代わって自らの一族を「主家」にしてしまったケースだ。
このように紹介すると、戦国時代における「下剋上」の一種か、と思ってしまうかもしれない。しかし、ここで解説する「鍋島騒動」と有馬氏、そして大谷吉継の三つのケースは主に織豊時代(安土桃山時代)から江戸時代初期にかけて起きたものであり、性質として「お家騒動」に近いため、本連載で取り扱うことにした。
これらの事件では流血を伴うような大規模な騒乱が起きなかった。下剋上が本質的に武力反乱であって多く合戦や粛清などを伴ったのに対し、「主家異動パターン」の事件ではこれがなく、血は流れても当主が死ぬだけなど小規模なものにとどまっている。争いの主役になったのは(しばしば中央政権の意向をバックにした)政治的闘争であった。
また、主君に代わって支配者の地位に立った家臣にしても、野心よりはむしろ「やむにやまれず」という意味合いが強い。もちろん彼らにひと欠片の野心もなかったといえば嘘になるだろうが、それよりは「危機の中では強力なリーダーが必要だった」「中央政権の命令を受けて」など、外部的要因のほうが強かったように思える。この二つの点は、本連載で紹介する江戸時代のお家騒動の多くのケースと共通する要素、といっていいだろう。
なにしろ、織豊時代といえば動乱の戦国時代から太平の江戸時代につながる過渡期であり、この時期に多くの大名家が全国規模の合戦や政治闘争に巻き込まれる形でその姿を消している。リーダーの不在は許されず、状況に合わせて判断できる賢い主君がいなければ勢力そのものが生き残れない。
さらにいえば、「主君には絶対服従」という江戸時代的な武士道、忠誠心そのものがこのころは希薄だったとされる。そのような状況においては、「ふさわしくない主君に、ふさわしい人物が取って代わる」というのは、それほど違和感のあることではなかったのだ。
身につまされる教訓③ 無用な流血は回避せよ
このように平和裏(その裏に暗闘はあっても、血なまぐさい下剋上に比べればはるかに平和!)に主家が異動するようなお家騒動は、当然ながら過渡期だからこその話である。安定期にはまず見られない。
豊臣政権が立ち上がって秀吉の死によって実質的に崩壊し、関ヶ原の戦いに勝利した家康が江戸幕府を作り上げると、長く混乱していた世情は急激に安定へ向かっていった。そうなると、時代の風潮も「弱くて正統な主君よりも、優れた家臣のほうがリーダーに向いている」から「家臣が主君に取って代わるなど、とんでもない!」となっていくのは当たり前のことだ。
結果、江戸時代のお家騒動は主君と家臣、家臣と家臣の主導権争いや勢力争いがメインとなり、このパターンは姿を消す。
逆に言えば、一般的なお家騒動と「主家異動パターン」は「家臣が主君に取って代われる」点においては違うが、それ以外では一連の流れに属する事件だ、ということなのである。