家康は中国・日本の歴史書を好んで読み、歴史を学んだと記録に残っている。そして、私たち現代日本人が歴史上の人物たちを崇敬し、憧れるように、家康もまた彼にとっての歴史上の人物を尊敬した、という。
ここで名前が上がるのは、まず中国の人物として「周の文王・武王・周公旦(しゅうこう たん)、前漢の劉邦、唐の太宗(たいそう)、太公望、張良、韓信、魏徴(ぎ ちょう)」である。以下、簡単に紹介しよう。
周の文王・武王・周公旦:悪政を行ったとされる殷(いん)の紂王(ちゅうおう)を倒し、周の国を作り上げた文王と、その子たち。
前漢の劉邦:始皇帝が作り上げた帝国・秦が崩壊する中、楚の項羽と争って最後には勝ち、前漢を作り上げた人物。
唐の太宗(李世民(り せいみん)):唐の初代皇帝になる父を担ぎ上げて隋を滅ぼして唐を建国し、また対立した兄も倒して自ら2代皇帝になり、長く続いた大唐帝国の基盤を築いた人物。
太公望:殷周革命を成功させた大軍師。歴史上の人物として知られる一方、『封神演義(ほうしんえんぎ)』では仙人にしてヒーローとしても描写された。
張良:劉邦の軍師として有名。中国史における王の補佐役、軍師として代表的な人物のひとりである。
韓信:劉邦に仕えた将軍。若き日に無用な諍いを避けるためにあえて相手の股をくぐった話(韓信の股くぐり)や、不利な状況に自軍を追い込みつつ伏兵で逆転した「背水の陣」など、有名な逸話が多い。
魏徴:唐初期に仕えた重臣。太宗をたびたび諌めたエピソードでよく知られている。
これらの人物選定については「悪王を倒して新たな(そして長きにわたる)政治を切り拓いた」人物ばかりであるところが面白い。家康は、豊臣政権を倒して江戸幕府を開いた自分に重ね合わせたのだろうか。
あるいは「自分は私欲のために豊臣政権を倒したのではなく、先人たちのように義のためだった」ことをアピールするためにこれらの人物の名前をあげたのであろうか。
なお、日本史において尊敬していた人物としては、源頼朝の名前が上がる。
頼朝は最初の本格的な武家政権を築いた人であり、また源氏の流れに連なる大先輩として(家康が本当に源氏の流れに連なっているかはともかく)大いに手本としたのだろう。
家康が『吾妻鏡』を愛読していたのも有名である。日光東照宮には、今も家康とともに頼朝が祀られている……。