家康の正室はふたりいる。
ひとりはもちろん、ドラマでも初期から登場している築山殿(瀬名姫)である。今川家の重臣である関口氏純の娘であり、またその母は今川義元の妹とされる(諸説あり)ことから、家康と今川家を深く結びつける意味を持っていたことはここまでにも見てきた通りだ。
その築山殿が悲劇的な死を迎えた7年後、家康は新たな正室を迎え入れた。
それが朝日姫――豊臣秀吉の実の妹である。この人は佐治日向守という武将に嫁入りしていたとされるが、他ならぬ兄・秀吉の命令によって離婚させられ、改めて家康の正室として送り込まれることになった。
背景には当時の情勢がある。この頃、家康と秀吉は対立状態にあり、小牧長久手の戦いでは家康方が有利であったが秀吉の政治工作によって大義名分を失う形になっていた。秀吉としてはどうにか家康を政治的に取り込みたいと考えており、そのために妹を政略結婚の道具にした、というわけだ。
家康は朝日姫を正室として迎え入れはしたものの、秀吉の求める上洛は行わず、最終的には秀吉の母(大政所)が人質として送り込まれることでようやく上洛することになった。
このような事情であるため、家康と朝日姫の間の関係は薄く、彼女は駿河に住みはしたものの亡くなったのは京でのことであった。
もちろん、近代以前の有力者の常として、家康は多数の側室を抱えていた。これを単に「英雄、色を好む」とだけ見るのは偏った視点であり(そのような側面も否定はできないが)、家系を残し、政治的道具として使うための子どもを数多く設ける必要があったのもまた事実だ。
家康の側室のうち、子を残した人としては、ドラマでも大きな出番があったお万の方(永見氏、秀康の母)をはじめ、西郡の方(督姫の母)、お愛の方(西郷氏、秀忠と忠吉の母)、お都摩の方(秋山氏、信吉の母)、お茶阿の方(忠輝と松千代の母)、お亀の方(志水氏、仙千代と義直の母)、間宮氏女(松姫の母)、お万の方(正木氏、頼宣と頼房の母)などがいる。
また、子どもは残していないが武田旧臣の娘で家康の政治的側近としても活躍し、有名な春日局以前に黎明期の徳川大奥を取り仕切った人物として、阿茶局の名前がよく知られている。
加えて、才知あふれた女性であったとされるお梶の方という女性もいて、この人については「最も美味いものは何か」という話題について「最も美味いものは塩で、最も不味いものも塩だ。塩が過ぎれば美味くない」と答えた、というエピソードが特に有名だ。
ちなみに、「家康の側室の趣味が関ヶ原の戦い以前は年増好みだったのに、関ヶ原以後は若い娘好みに変わった」などという指摘もあるようで、隆慶一郎『影武者徳川家康』では「関ヶ原の戦いで家康は死に、以後は影武者が成り代わっている」ことの傍証として作中に取り込まれている。