いよいよ2020年大河『麒麟がくる』が始まった。
この大河ドラマをより楽しんでもらうための本連載第一回では、主人公の明智光秀が連なるとされる「明智氏」を紹介しよう。
ドラマの中でも描かれた通り、明智氏は美濃国恵那郡明智荘に居住する小規模な武士の一族である。血筋を遡れば美濃国守護・土岐氏に連なる。今に伝わる系図によると、鎌倉時代の終わり頃に土岐氏の一族のものが「明智九郎」とか「明智彦九郎」とか名乗ったのが始まりであるらしい。
ただ、これらの系図の細かい部分については後世の創作が疑われる(光秀の父親の名前をはじめ「光」の字が多いが、他資料に見られる明智氏出身者の名には「頼」の字が多い)。
後世の私たちからみると、なんといっても「明智光秀」を輩出した一族であり、また斎藤道三の妻もこの明智氏の出身(だから信長の妻、帰蝶にも明智の血が入っている)として知られている……のだが、正直なところ確実なことは言い難い。前回紹介した通り、光秀についてわかっていることは少ないのだ。ただ、同時代人の記録によると光秀が「自分は土岐の一族である」と言って周囲も受け入れていたらしい。
また、光秀の妻が美濃の豪族・妻木氏の出身であることも、彼と美濃の強いつながりを感じさせる。また、明智氏200年の歴史を伝えるとされる明智城(明智長山城)の城跡が岐阜県にいまでものこっている。そのため、家系図の詳しい内容はともかく、「光秀は美濃明智氏の生まれであったらしい」というのはおおむね信じていいのではないか。
この明智氏を大きな目で見れば「清和源氏」と言って、平安時代の清和天皇から分かれた血筋だ。鎌倉時代の源将軍家も、室町時代の足利将軍家も、戦国時代なら甲斐の武田家も、みなひっくるめてこの清和源氏になる。名門武家と言っていいだろう……ただ、非常に広がっている一族だし、名門武家の名前を騙る人も沢山いるので、清和源氏イコール名門というわけにはいかない。
明智氏の場合はどうか。これもドラマの通り、少なくとも戦国時代には、とても名族とは胸を晴れないような、土着の豪族的な存在であったろうと思われる。戦乱の時代において小さな支配地域を守るのが精一杯で、いわゆる戦国大名的な「天下に覇を競う」イメージとは程遠い。
大河ドラマファンには釈迦に説法かもしれないが、近年の大河ドラマはスケールの大きな歴史の動きだけでなく、このような豪族レベルの人々の必死の生き様を物語の中に刻み込もうという傾向があり、四年前の上信の豪族真田氏を描いた『真田丸』や三年前の遠州の豪族井伊氏を描いた『おんな城主直虎』はまさにそういう話であったので、ぜひ今回の明智氏の様子と見比べてほしい。若き光秀の気持ちについて、より深く理解することができるはずだ
ただ、史料を追っていくと明智氏には別の側面も見えてくる。実は室町時代には名門・土岐の一族として自らも京に出て、外様衆や奉公衆などという役職について活躍していたらしい形跡が見えるのだ。
このような京とのつながり、名門一族の末裔としての意識は、先行作品とは違う景色を光秀に、そして私たちに見せてくれるかもしれない。楽しみだ。