二条城で開催された学芸員解説会に参加してきました。
会場は大休憩所北側レクチャールームで、朝10時からなのに定員いっぱいの50名が参加していました。
最初に北村所長(二条城事務所なので所長)から挨拶。
- 一昨年は243万人が来城
- 大阪万博(昭和45年)以来の記録
- そのうち63%が外国人で、京都市民は2.6%しかいなかった
- 現在、400年ぶりの本格改修をするための修復事業を進めている
- 100億円かかる
- 重要文化財だから国が半分持ってくれるけど、50億円集めないといけない
- その財源として春から入城料を値上げします
- 京都市民には年間パス(2000円)を用意する
解説会の担当は中野学芸員でした。
- 二条城の歴史
- 1603年(慶長8年)、家康が征夷大将軍になり江戸幕府をつくる、同年二条城を築城する
- 1620年(元和6年)、秀忠が後水尾天皇のもとに娘・和子を入内させる
- 1626年(寛永3年)、家光が後水尾天皇と中宮(和子)、女院、内親王を招待して歓待(寛永行幸)。その準備として2年前から大改修をおこなう
- 寛永行幸時の各御殿
- 本丸御殿は大御所秀忠のための御殿→1788年(天明8年)「天明の大火」で焼失
- 二の丸御殿は将軍家光のための御殿→現存
- 行幸御殿は後水尾天皇のための御殿→御所へ移築後焼失
- 狩野派の絵師たちが障壁画を描く
- 二の丸御殿大広間
- 一の間は将軍が座る
- 二の間は対面の相手が座る
- 三の間の用途は不明
- おそらく二の間で対面する前にここで控えた
- 寛永行幸の際は秀忠と家光がここから能を鑑賞した(天皇は二の間から)
- 江戸幕府における武士の階級
- 将軍……1人
- 大名……約200〜300人
- 旗本……約5000人
- 御家人…約17000人
- 将軍と対面できるのは旗本以上
- 障壁画のモチーフ
- 松……不老長寿、永続的な繁栄
- 孔雀…徳川家の権力、魔除け・厄除け
- 将軍との対面にふさわしい空間づくり
- 大広間三の間の障壁画
- 狩野探幽の「松孔雀図」
- 孔雀は真孔雀
- ただし首が鶴のように長くなっているなど少し脚色(創作)されている
- 孔雀は江戸城で飼育していた記録もあり、実物を見ているはず
- 探幽の革新的な技法として「地面を描かない」点がある
- 襖の最下部からいきなり幹が伸びている
- 大広間三の間の欄間彫刻
- 北面(四の間との仕切り)は左「唐松、唐椿に孔雀」、右「唐松、薔薇に孔雀」と花がちがう
- 西面(二の間との仕切り)は「桐、牡丹に鳳凰」の裏面→二の間側が表面
- 鳳凰…聖天使の出現を待って現れる瑞鳥
解説のあと、現地(大広間三の間)へ移動して、障壁画や天井画、欄間彫刻の説明を聞きました。
ガイドツアーでも大広間三の間と四の間(槍の間)との間の欄間については厚さ35cmあるとか、孔雀の彫刻がすごいと説明はするんですけど、ふだんは室内が暗くて孔雀の彫刻そのものはよく見えないんですよね。
こうして間近で見ると、立体的に彫られた孔雀がほんとうにすごかったです。名古屋城の上洛殿の欄間彫刻も感動的でしたが、羽の重なりとかヤバいです。
またふだんは廊下側から見ることになるため、どうしても角度的に南面の障壁画はわからないのですが、部屋の真ん中に立って眺めてみると部屋の両隅(北西と南東)から松の木が生えているのがわかりました。いつもは北西側の木しか見えませんから、こういうのは貴重な機会です。
収蔵館でもふだんは見れない面の障壁画がよく公開されてますし、現在も大広間二の間の廊下側(南面、西面)の障壁画が展示されてるのでぜひ忘れずにチェックしてくださいね。
2月2日には探幽の「松孔雀図」について、学芸員の解説が聞けるギャラリートークがあるようです。
なおこの大広間三の間の特別入室は1月28日(月)までなので、気になる方はお早めに!(火曜日が休みです)
最後に
二の丸御殿の特別入室と学芸員解説会は昨年の遠侍二の間につづいて2回目になると思いますが、これはほんとうに素晴らしい試みだと思います。
ここ数年、二条城はインバウンドの追い風もあり来場者数が増えていて、毎年のようにプロジェクションマッピングとかアートアクアリウムといったイベントが開催されています。こうした若者向けというかインスタ映え狙いというか、歴史やお城となんにも関係ないイベントで集客していることを批判する声もあるんですけど、その一方でずっと立入禁止だった二の丸御殿の各部屋に入れるようにしたり、それを企画した学芸員の方々によるド真面目なセミナーも開催されていることもちゃんと評価したいです。
ぼくはどんなきっかけであってもまず城に来てもらうことが大事だと思うし(整備にはお金もかかるので)、それと並行してお城や歴史に興味を持ってもらう努力をすればいいだけですよね。