いわゆる「本能寺の変」が起きたのは、天正10年6月2日です。
とはいってもこれは旧暦なので、新暦に直すと6月21日になります。このあたり、扱いに困りますよね。まあWikipediaのように「天正10年6月2日(1582年6月21日)」と表記すれば誤解も少なくなるし、丁寧ですね。
ただ、1582年6月21日というのは「ユリウス暦」なんです。これはユリウス・カエサルによって制定された太陽暦の一種なんですけど、不備があったのでその後改められることになります。
そして、まさにその改暦された年がこの1582年なのです。ああややこしい。
現在ぼくらが使っている西暦は「グレゴリオ暦」といって、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦法です。
このグレゴリオ暦で換算すると、天正10年6月2日は1582年7月1日になるそうです。
ただ、Wikipediaによれば「1582年10月4日の翌日を、曜日を連続させながらも10日間を省いて、10月15日とすることを定めた」とあるので、ユリウス暦の6月21日はそのままなのかもしれません。
このあたり、よくわからないです。
さらにややこしくすると、日本における太陽暦(グレゴリオ暦)の採用は1872年(明治5年)です。明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることで調整をしたわけですが、となると戦国時代や江戸時代の出来事についてはそのままの日付で覚えておけばいいんですかね。
和暦と西暦の変換は現代であればそうむずかしく考える必要はないのですが、江戸時代以前においてはこのようにけっこうややこしいということは知っておいてもいいかもしれません。