別名 喜春城、鶴城
明石城は江戸時代に譜代大名である小笠原忠政が2代将軍・徳川秀忠に命じられて築いた城です。日本100名城に選ばれています。明石の地は山陽道が通り、また瀬戸内海に面しており、淡路島や四国へのルートがあり、古来より交通の要衝でした。そのため徳川幕府が西国の外様大名の抑えの城として、姫路城とともに重要視していたとされます。現在は明石公園として整備されており、巽櫓と坤櫓のふたつの三重櫓が現存し、国の重要文化財に指定されています。この巽櫓は船上城から、坤櫓は伏見城から移築されたといわれています。JR明石駅のすぐ北側に位置しているため、駅のホームから城址を眺めることができます。
明石城を訪問した3199人の報告によれば、平均見学時間は1時間3分、平均評価は3.46点となっています。
目次
明石城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
明石城の見所や歴史などを紹介します。
明石城へのアクセス情報 情報の追加や修正
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
明石城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
明石城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
明石城の周辺3km以内にあるスポットを表示しています。
明石城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
訪問レポートなど、これまで攻城団に公開された関連記事の一覧です。
明石城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
武田信玄が村上義清の戸石城を攻めて大敗した「戸石崩れ」の敗走の様を小者の視点から描く。半助は62歳、雨宮佐兵衛の小者である。小者は主人の世話をするために従軍し、戦場では戦いには加わらず主人の活躍と無事を願い、味方の救護に当たる。だが敗け戦となれば小者とて知恵、機転、勘、持てる物すべてを使って死地を脱出しなければならない。前半は戦の支度から戸石への行軍と攻城戦の様子を描き、後半戸石城から長窪城までの敗走が始まると目が離せない緊迫した場面が続く。戦の支度の様子から目を背けたくなるような凄惨な場面まで、描写がとても具体的でリアルな戦国の戦いが感じられる。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する