別名 雲突城、平福城
お知らせ 詳細
利神城は赤松氏一族の別所敦範によって築城された城です。ここは朝霧の名所で、江戸時代初期にあった天守の姿が霧の上に浮かんだ偉容から「雲突城」とも呼ばれていました。「関ケ原の戦い」後に池田氏の領地となり、池田輝政の甥の由之が5年の歳月をかけて城を近世城郭として大改修しており、石垣をはじめとする、現在見られる遺構の多くはこの時代に構築されたものと見られています。道の駅「宿場町ひらふく」の隣に松平氏の平福陣屋跡があり、陣屋表門が現存しています。ただし石垣の崩落が進んでしまい、現在は立入禁止になっています。
目次
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利神城に関するデータ 情報の追加や修正
373 m( 250 m)
内郭:-- 外郭:--
3重
江戸時代初期には池田由之によって築かれた3重の天守があったとされるが、城を見た池田輝政はその豪壮さに驚き、江戸幕府の警戒を恐れて天守の破却を命じたとされる。
別所敦範
着工 1349年(貞和5年)
1631年(寛永8年)
池田由之
別所氏、宇喜多氏、池田氏
石垣、曲輪、空堀
国史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 373 m( 250 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | 3重 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 江戸時代初期には池田由之によって築かれた3重の天守があったとされるが、城を見た池田輝政はその豪壮さに驚き、江戸幕府の警戒を恐れて天守の破却を命じたとされる。 |
築城主 | 別所敦範 |
築城開始・完了年 | 着工 1349年(貞和5年) |
廃城年 | 1631年(寛永8年) |
主な改修者 | 池田由之 |
主な城主 | 別所氏、宇喜多氏、池田氏 |
遺構 | 石垣、曲輪、空堀 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 |
更新日:2023/11/29 03:27:19
利神城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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