上月城はかつての山陰の覇者である尼子氏が滅んだ城として知られています。この地は美作、備前、播磨という三国の結節点近くにあり、交通の一大要衝地でした。織田、毛利という強大な勢力のはざまで戦乱の渦に巻き込まれた城で、「上月城の戦い」の舞台になった城としても有名です。この戦いで尼子勝久は毛利氏に降服し自害し、また山中幸盛(鹿介)も捕らえられ殺害されました。現在は土塁や石垣、空堀などの遺構が残るほか、本丸に赤松氏の供養塔、麓には尼子氏の供養塔が残されています。
上月城を訪問した244人の報告によれば、平均見学時間は55分、平均評価は3.27点となっています。
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上月歴史資料館にあり
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あり
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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