三木城は別所長冶の居城として知られています。羽柴秀吉による兵糧攻め、いわゆる「三木合戦(三木の干殺し)」の舞台になったことでも有名な城です。小寺氏の御着城、三木氏の英賀城と並び播磨三大城と称されたほどの堅城でしたが、1年10ヶ月におよぶ籠城戦の末に敗れました。毎年5月5日には長冶を偲び、「別所公春まつり」が開催されています。現在は、本丸跡周辺が上の丸公園として残っており、公園内には長治の騎馬像や城外への抜け穴があったと伝えられる「かんかん井戸」があります。なお、近年の調査で羽柴秀吉が築いた付城群や土塁が見つかっています。また、近隣には三木城攻防戦の最中に陣中で没した竹中半兵衛の墓があります。
目次
三木城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
三木城の見所や歴史などを紹介します。
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 上の丸公園駐車場:無料(10台) |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
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「教科書には書かれていない」というワードと、教科書会社出版という2つにひかれて手に取った本です。
教科書に書かれている事実(とされている事柄)の間を丹念に埋めるような内容です。
「参勤交代の経済学」は、面白かったです。「大名は本陣に泊まるときには、宿泊料を払わなかった」とか、「『超高速参勤交代』は、超高速じゃなかった」とか、「参勤交代で、行列同士が出会ったら」とか、面白くて一気に読みました。
あとは、「武士道と切腹」「幕末のとある旗本の一生」「天璋院篤姫」「徳川慶喜はなぜ大政奉還したのか」「江戸の庶民」「江戸の学問、名君池田光政と花畠教場・閑谷学校」など、事実だけではなく、そこに至る経緯、人の思惑、顛末など教科書のすき間を埋める事柄がたくさん書かれています。
授業で教えてくれたら、面白かっただろうな、でもきっと決められた時間数では終わらないだろうな、なんて考えながら読みました。
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