三木城址上の丸公園には別所長治の石像があります。
近くで見るとかなり迫力がありますね。
ライオンズクラブが寄贈したものだそうです。
別所長治公石像について
戦国時代、三木城を居城として東播磨地方を領有した戦国大名別所氏の五代目当主、四代目安治の嫡男で小三郎長治という。安治が39歳の若さで病死したため、13歳で当主となる。当時、天下統一を目指していた織田信長と同盟関係にあったが、のちに中国地方の戦国大名毛利氏に味方したため、信長は家臣の羽柴秀吉に命じて三木城を攻めた。秀吉は、ほぼ2年間にわたり三木城を包囲し兵糧攻めにしたことから、三木合戦といわれるこの戦いは"三木の干殺し"とも呼ばれている。長治は、飢えに苦しむ家臣・領民の命を救うことを条件に自害することを秀吉に申し入れ、天正8年(1580)1月17日、一族とともに自害した。享年23歳といわれている。
この石像は、三木ライオンズクラブが結成40週年を記念して、長治公の武者姿をイメージして製作され、市が寄贈を受けたもので、史実に基づいた姿ではありません。
三木市