竹中半兵衛(竹中重治)は三木合戦の最中、平井山の陣中で亡くなっていますが、三木城のすぐ近くに竹中半兵衛の墓があります。
周辺はぶどう畑になっています。
案内が出てますので、おそらく迷うことはないと思います。
白壁に囲まれた、少し大きな木が見えてきますが、あれが竹中半兵衛の墓です。
近づいてみます。
ひっそりとお墓がありました。多くの花が供えられていました。
案内板も。
竹中半兵衛の墓
一世の軍略兵法家として知られた竹中半兵衛重治は、初め斎藤龍興に属し、後に織田信長に従い、秀吉と共に各地に転戦し殊勲を立てました。しかし、三木城攻城戦がたけなわの頃、平井山の陣中に胸を病み、一時は京都に移って療養していましたが、固着した戦況を心配し此の地に帰ってきました。けれども、病魔には勝てず天正七年六月十三日、三十六歳の若さをもって永歿(えいぼつ)しました。臨終の時、秀吉に対して将来の「天下人」と予言し息を引き取りました。秀吉は「お先まっくら」と人前もはばからず遺体にとりすがったといわれます。
クルマで訪問する場合は地元の平井公民館に無料駐車場があります。
10台以上は余裕で停められますので安心です。