別名 千代田城、江城
お知らせ 詳細
江戸城は東西約5.5km、南北約4km、周囲約14kmの城域を誇り、名実ともに近世城郭として国内最大の巨大城郭といえます。その歴史は太田道灌による築城にはじまりますが、徳川家康によって大幅に改修されました。現在は皇居として利用されていますが、本丸・二の丸・三の丸部分は、皇居東御苑として開放されているため、自由に見学することができます。桜田門をはじめ、切込接の美しい石垣をあちこちで見ることができます。江戸時代に天守は三度建てられており、いずれも当時国内最大の規模を誇っていましたが、明暦の大火で焼失してからは再建されていません。天守台は残っていて見学できます。
江戸城を訪問した4271人の報告によれば、平均見学時間は1時間33分、平均評価は3.74点となっています。
目次
江戸城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
江戸城に関するデータ 情報の追加や修正
25 m
内郭:424.8 ha 外郭:2082 ha
5重5階、地下1階
44.84 m
13.8 m
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1457年(長禄元年)に太田道灌によって天守相当の高閣望楼建築が築かれた。その後、徳川氏により三度建て替えられた。1607年(慶長12年)に家康が5重6階(地上5階、地下1階)、白亜総塗籠の望楼型天守をあげた(連結式天守だった説もあり)。この天守を「慶長天守」と呼ぶ。1622年(元和8年)に秀忠がこの慶長天守を解体し、天守台の位置もずらして再建をはじめた。1623年(元和9年)には独立式層塔型5重6階(地上5階、地下1階)の天守(元和天守)が完成した。さらに1637年(寛永14年)には3代将軍・家光によって天守が再建される(完成は翌年)。この「寛永天守」も独立式層塔型5重6階(地上5階、地下1階)であったが、その大きさは元和天守を上回り、我が国最大の天守であったが、完成後間もない1657年(明暦3年)の「明暦の大火」で類焼してしまう。その後、幕府で天守復興が検討され、翌年には天守台が再建されたが、けっきょくは天守は再建されず、富士見櫓を天守の代用とした。なお、この富士見櫓はかつて太田道灌が築いた最初の天守にあたる静勝軒と同じ位置にある。現在残る天守台石垣は寛永天守焼失の後に積み替えられたもので高さは6間(約11.8m)だが、下部1mほどは埋没している。
太田道灌
着工 1457年(長禄元年)
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徳川家康、徳川秀忠、徳川家光
太田氏、北条氏、徳川氏
櫓、門、石垣、土塁、堀
特別史跡、国の重要文化財(桜田門、田安門、清水門)
富士見櫓、伏見櫓、多聞櫓桜田巽櫓、和田倉門
登録日:2013/11/17 17:35:45
更新日:2024/11/21 12:12:36
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