攻城団ブログ

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二条城で開催された二の丸御殿「式台の間」特別入室と学芸員解説会に参加してきました

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昨日は二条城で開催された二の丸御殿「式台の間」の学芸員解説会に参加してきました。

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やること満載でしっかりしたレポートは書けないのですが、投影されたスライドをぜんぶ写真に撮ってきたので簡単ではありますけど教わったことを共有します。
(なにもしないよりはマシかなと)

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以下、スライドを並べつつ、要点だけコメントを付け加えますね。

二条城の概略

最初は二条城の略史などを簡単に。
家康が築いて、家光の時代に最盛期を迎えたという話ですが、二の丸御殿の話をするときはどうしても寛永行幸に向けた改修になってしまうので、二条城の長い歴史の一部しか紹介できないのがもどかしいですね。

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式台の間の役割

まずは二の丸御殿の図面から。
今回の対象は雁行型に並んだ建物の右下部分になります。

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二条城を訪問した客人はまず「遠侍(黄色)」で待たされ、その後「大広間(緑)」で将軍と対面することになるのですが、中間に位置する「式台の間(赤)」で老中が取り次ぎます。 

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なお大広間に松の絵が描かれるのは、松が常緑樹であることから永続性(=徳川の天下が今後もつづくように)という意味が含まれています。

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「式台の間」というのは老中が来殿者と対面する部屋です。

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この式台の間にもやはり松が描かれています。 
その理由は大広間に準じる晴れやかな場であるためだと考えられます。

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式台=式台の間+老中の間

老中は「式台の間」の裏側にある「老中の間」で執務をしていました。

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現在、収蔵館ではこの「老中の間」の3室(老中一の間・二の間・三の間)の原画が公開されています。

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老中の間の障壁画は一の間が「春と夏」、二の間が「秋」、三の間が「冬」と一年を表現しています。
二の丸御殿内で季節を描いているのは黒書院と老中の間だけですね。

「三の間」については狩野興以が描いたと比定されていますが、一の間と二の間については誰が描いたかはわかっていません。原画公開中の展示収蔵館には渡辺了慶の可能性があると書いてありました。

あと老中の間は完全にバックヤードなので簡素な造りになっています。長押の上はしっくいの白壁で絵が描かれてませんし、天井も竿縁天井ですしね。

「松図」は誰が描いたのか

さてこの「式台の間」に描かれた巨大な松の障壁画、通称「松図」は二条城を代表する障壁画のひとつです。

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この筆者について、中井家に伝わる「御城内御本丸二之丸御殿向指図」によれば、采女=狩野探幽とあるため、長らく探幽が描いたとされてきましたが、一方で絵の構図の特徴から狩野山楽によるものとする説もあります。

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狩野派は初代・狩野正信が足利義政の御用絵師になって以降、織田信長、豊臣秀吉と常に権力の中枢の御用絵師として画壇に君臨してきました。
それは徳川の時代になっても変わらず、二条城の改修時は天才と謳われた狩野探幽をリーダーとして大量の絵を制作しました。

山楽は探幽の祖父にあたる狩野永徳の弟子で、江戸にいかず京都に残り「京狩野」と呼ばれていました。

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ふたりは世代もだいぶちがうので、画のタッチも異なります。
ただし障壁画は何度も修復を繰り返しているので、絵そのものから特定できることは少なく、むしろ「構図」により筆者を特定していくのだそうです。

ポイントは木の全体像で、おおきな三角(傘型)になっているのがわかると思います。

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以下の大広間の障壁画は探幽が描いたことが確実視されているのですが、こちらの松は平べったい感じで三角っぽさはありません。

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一方、山楽が描いたとされる妙心寺天球院の松の絵や、水墨画ではあるものの正伝寺の山水図は三角形の構図になっています。

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二条城では昨年、大広間四の間の「松鷹図」を山楽筆であると発表したように、二の丸御殿内の障壁画の作者比定にかなり積極的ですが、話の感じからいってあともう少し根拠になるものが見つかれば山楽に断定できるんだけどなあって印象を受けました(現時点では断定されていません)。

今後に期待ですね。

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ちなみにこちらが狩野山楽筆と特定された「松鷹図」です。

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腰障子の「花鳥図」は17世紀の作品のコラージュ

「式台の間」の北面(通常の見学路から正面に見える面)は「松図」ですが、それ以外の三面はすべて腰障子(腰付き障子)となっています。

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障子下部にある障壁画も狩野派によるものなのですが、どうやら寛永期に描かれたものではなく、だいぶあとの時代に描かれたもののようです。
しかも断裁跡などがあることから、もとは別の絵(襖絵)だったものを切り貼りしたとのことでした。

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このプロセスがすごくおもしろかったのですが、裁断面や引手金具のあとを目印にパズルのように貼り合わせていくと、春と秋それぞれを描いた障壁画が現れるというのです。
(二の丸御殿に展示されてるレプリカはこうした裁断後は再現せず模写してるそうです)

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これを全体でやるとふたつのグループにわかれます。

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まず春を描いたAグループ。

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つづいて秋を描いたBグループ。

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これらの絵の作者はわからないそうですが、木の描き方などから17世紀のものに近いと推定されています。

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また後年描かれたことを示す別の理由として、改修時の指図にはいまある海棠(かいどう)ではなく「山吹」や「すみれ」や「たんぽぽ」が描かれたと記録されています。

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加えて、こうした切り貼りは二の丸御殿のほかの場所でも見られており、とくに二条城は離宮として使われた時代もあるため、絵が傷んでいた場合の修復として別の絵が貼り付けられたと考えられています。

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そのほかの見どころ

特別入室では天井画も必見です。廊下からだとちゃんと見えませんしね。
ちなみに天井画も狩野派が手がけた作品ではあるものの、区分としては「建造物の一部」であるため重要文化財の指定とはなっていません。
そのおかげで(障壁画のようにレプリカではなく)原画を見ることができます。天井画は京都市に下賜されてからはまだ一度も修復していないそうです。

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式台の間の天井画は二羽の孔雀が描かれています。
(口を開けたのと閉じたのが向かい合っているので「あ・うん」ですね)

周囲に描かれているのは富貴を表す牡丹唐草です。

また釘隠しも見ておきましょう。
両脇を袋とじにしたように見えるので「括袋形釘隠(かったいがたくぎかくし)」と呼ばれています。

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現地で見たら廊下側にひとつ中央の金具がはずれているのがありました。
これも室内からしか見えない位置なので特別入室期間中にぜひチェックしてみてください。

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今回もとてもおもしろかったです。

学芸員解説会はもう一回、1月23日(木)の14時から開催されますので、ご都合のつく方はぜひ。
受付開始の13時半からけっこうたくさん並んでましたが、後ろのほうでもよければ14時ギリギリでも大丈夫じゃないかと思います。 

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