江戸時代は高度な地方自治体制が成立
江戸時代はかなり高度な地方自治体制が成立しており、中央政権である幕府は地方自治体である諸藩にあまり介入しなかった。
江戸時代初期には謀反防止もあってたびたび改易処分を下したが、幕府の支配体制が確立するにつれてなりをひそめていったのである。
それでも、幕府が諸藩にまったく手を下さない、というわけではなかった。
ここでは、そうした「幕府による介入」が見られたケースについて紹介する。
身につまされる教訓⑦ 幕府の調整機能は意外に有効?
実際のケースで見ていただきたいのだが、各事件において幕府が介入にまで踏み切った理由は様々である。
訴えが出されれば介入しないわけにはいかなかったし(それでも、まずは穏便な形でまとめようとすることも多かったようだが)、親幕府・親徳川でない藩に介入して影響力を強めようとするケースもいくつかあったようだ。
このような幕府側の思惑に、藩側の内部対立が絡まることで、各事件は複雑な模様を描くことになったのである。
ただ、これらの事件を概観するに、幕府の介入は比較的上手いケースが多かった、と言っていいのではないだろうか。
序章で紹介した「中央の政争のついでに従来の敵になりそうな藩を排除する」というケースでもそうだったが、介入によって幕藩体制を安定させる試みは結構上手くいっているように思えるのだ。
その幕府も江戸時代後期になると組織の硬直化が進み、内外の諸問題への対応に失敗してついに崩壊するわけだが、必ずしもすべて失敗していたわけではないのである。