お城にも建築ブームがあります。
最も大きなブームとなったのが慶長期(けいちょうき)の建築ブームです。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、約15年の間に数多くの城が作られたのがこのブームです。
今回はこの慶長期の築城ブームについて学んでいきましょう。
江戸時代・慶長期(けいちょうき)の築城ブーム
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いが終わると大名達の全国的な配置替えが行われました。
それにより新たな領地などを与えられた大名は、それに見合う城郭を居城とするために新築もしくはそれまでの城を大改修しました。
特に西日本(中国地方、四国地方、九州地方)に外様大名が多く移り、大城郭を建築したのです。
さらに、幕府による天下普請(てんかぶしん)が行われ、大阪城を包囲する形で多くの大城郭が作られました。
これらの建築ブームは慶長5年(1600年)から慶長20年(=元和元年、1615年)まで続きました。
武家諸法度(ぶけしょはっと)
元和元年(1615年)になると幕府が武家諸法度(ぶけしょはっと)を出します。
これには新しい城を作ることや城の増改築が禁止されることが含まれていました。
城の修繕には届出が必要で、幕府の許可を取らなくてはいけなくなったのです。
そのため築城ブームは1615年までで、それ以降は新しい城が建てられることはあまりありませんでした。
逆に1600年から1615年の15年間で数多くの城が作られ、現在残っている天守=現存天守(げんぞんてんしゅ)の多くもこの時期に建築されたものです。
いま私達が城としてイメージしているものは、ほぼこの頃に作られたものということです。
建築技術の飛躍
この慶長期の築城ブームの間に建築技術の飛躍的な進歩がありました。
まずは石垣です。
石垣の隅の算木積み(さんぎづみ)が完成しました。
これには石の加工技術の飛躍もありました。
つまり切込接(きりこみはぎ)が、増えたのです。
さらに石垣に反りが生まれました。
これらにより高い石垣が作られるようになりました。
次に天守についてです。
天守はそれまでの望楼型(ぼうろうがた)よりも短い工期で作れ、しかもコストパフォーマンスの良い層塔型(そうとうがた)天守が現れました。
そして徳川家康が全国の大名を動員して行なった天下普請によって技術が全国に伝播したのです。
これらにより15年間という短い間に、建築技術の飛躍的な発展があり近世城郭はピークを迎えるのです。
ブームの頃のお城の例
この築城ブームの頃に作られたお城の例をいくつか挙げてみましょう。
- 加藤清正が作った熊本城(くまもとじょう)
- 細川忠興が作った小倉城(こくらじょう)
- 毛利輝元の萩城(はぎじょう)
などが挙げられます。
徳川幕府による天下普請の城としては、
- 江戸城
- 駿府城(すんぷじょう)
- 彦根城(ひこねじょう)
- 名古屋城(なごやじょう)
- 加納城(かのうじょう)
- 福井城(ふくいじょう)
などがあります。
これらの多くは今でも城跡として残されており、近世城郭として我々は目にすることができます。
まとめ
慶長期の築城ブームは関ヶ原の戦いがあった慶長5年(1600年)から慶長20年(=元和元年、1615年)までの15年間でした。
この築城ブームによって建築技術の飛躍的な進歩があり、また全国に伝播するなどして現在のお城のイメージである近世城郭が一気にピークを迎えたのです。
この頃建てられた天守が今でも残っていますし、天守がなくても城跡として石垣や堀などが多数残っています。
これらのお城を巡ることで築城ブームの頃の城作りを肌で感じることができるので、とても楽しいですよ!
ということで、慶長期の築城ブームについてのお話でした。
じゃあね🖐️
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