うちの近所にある妙蓮寺が「春の宝物殿特別公開」として、寺宝の長谷川派の金碧障壁画を公開されているので見に行ってきました。
妙蓮寺は鎌倉時代に日蓮の弟子、日像(にちぞう)によって創建されたお寺です。
現在地に移転したのは1587年(天正15年)、豊臣秀吉の都市改造のときで、このあたりは「寺之内通」といって、妙顕寺城の場所から移転してきた妙顕寺などお寺がたくさんあります。
桜はもうちょっとで満開といったところ。
宝物殿に展示されている寺宝の障壁画は長谷川等伯一派の作品と紹介されています。
なんでもこの障壁画を書いた時期、等伯は手を怪我してたらしく、本人は指示を出す程度で、大半は弟子たちが描いたのではないかということでした。
ただし妙蓮寺障壁画の製作年が1595年(文禄4年)頃ともあったのでよくわからないです。
ただし「松櫻之図」「鉾杉之図」「柳之図」といずれも見事な障壁画で、ぐるぐると3回も見返してました。残念ながら撮影禁止だったので、買ってきた絵葉書の写真で紹介。
おそらく「柳之図」は妙蓮寺の山号「卯木山(うぼくさん)」にちなんでこの寺のために描いたのでしょうね。というのも妙蓮寺はもともと柳屋仲興という酒屋の屋敷内に建立されたのですが、そこから「柳」の漢字をふたつにわけて「卯木」とし、「卯木山」という山号がつけられたそうです。左右逆ですが。
個人的には「鉾杉之図」がちょっとクリスマスツリーみたいでかわいいなと思いました。
ネットではこれらの障壁画は秀吉の伏見城にあったものという記述も見つけましたが、真偽不明です。等伯が秀吉の依頼で描いたのは祥雲寺(現・智積院)障壁画くらいだと思っていたのですが、これが1592年(文禄元年)頃完成なので、1597年(慶長2年)の木幡山伏見城にどこかの絵を任されていても時系列ではおかしくはないですね。
あと、このMIHO MUSEUMに収蔵されている「柳橋水車図屏風」は「伝」長谷川等伯筆の注釈付きですが、伏見城御殿を飾っていたと書いてありますので、可能性はゼロじゃなさそうです。
また等伯の長男といえば早逝した長谷川久蔵ですが、次男の長谷川宗宅が描いた「吉野桜図屏風」も展示されています。
これは絵葉書もなくてイメージを伝えられないのですが、六曲一双の見事な屏風絵でした。ぼくの目には十分すぎるくらい美しく見えたのですが、久蔵と比べられるというのは辛かったでしょうね。
ほかに本阿弥光悦が書いた「立正安国論」の書写なども展示されています。
本阿弥光悦と長谷川等伯は日蓮宗のお寺にはほんとによく出てきます。
あとこれも撮影不可だったのですが、書院を飾ってる幸野豊一筆の襖絵が見事でした。
4つの部屋にそれぞれ春夏秋冬の移り変わる四季をテーマにした絵が描かれています。この襖絵はすべて金箔ではなく銀箔の上に描かれてるんですが、見慣れていないせいもあってとてもきれいでした。モチーフも鹿の絵とか珍しいのが見れます。
(廊下の写真だけ貼っておきますが、この奥の右側の部屋にあります)
庭園もよかったです。
「十六羅漢の石庭」と呼ばれる枯山水庭園ですが、妙蓮寺の僧だった玉淵坊日首(ぎょくえんぼうにっしゅ)が作庭したものです。
なぜ日蓮法華宗の妙蓮寺に禅宗式の枯山水があるのかはよくわからないそうです。
中央にある大きな青石は臥牛石(がぎゅうせき)と呼ばれ、豊臣秀吉の寄進とか。
あと写真が苦手な人のために「ここから撮ると映えるよ」とガイドがありました。助かるなあ。
御朱印もいただいてきました。
お寺まるごと美術館PROJECT
現在、妙蓮寺をはじめ上京区のお寺が合同で「お寺まるごと美術館PROJECT」を展開中です。
寺宝の公開とは別に、現代アートが展示されています。ざっと写真でご紹介。
最後のはミキサー車をミラーボールみたいにしてて、すごく洒落てるなと思いました。
現在は夜間ライトアップ&夜間拝観も
ちなみに夜はライトアップされていて、夜間拝観も可能です。
(ただし宝物庫の公開は昼間のみなので注意)
紅葉(?)の瓦
鬼瓦や軒丸瓦に3つの紅葉(?)が彫られていました。
なんでこの柄なんでしょうね。今度聞いてみよう。