攻城団ブログ

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【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】3-1.「日本最初の星の城」の原典への旅(1)-戸切地陣屋へと連なる「星の城の系譜」…パガン、ヴォーバン、そしてサヴァール-

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ここで一度、そもそも西洋の稜堡式築城術とはどういうものなのかを教えていただきます。そこにはちゃんとした理論があり、弟子たちに受け継がれながら発展していきました。
いわゆる鎖国の中で藤原主馬がなぜ西洋の築城術を知り得たのかについても調査がおこなわれ、オランダ語に翻訳されていた文献が特定できたそうです。すごい。

これまで、日本における星形城郭・台場(五稜郭・戸切地陣屋、あるいは四稜郭など)について、その特徴的な形状から西洋の稜堡式築城術に基づくものであるということは言われても、その原典……一体どのようなテキストの、どのような理論および技術体系に則って造られたか……についての具体を明らかにしようとするアプローチはほぼ皆無であったといえます。

この研究的欠落を埋めるべく、一昨年度(令和4年度)より、戸切地陣屋跡に現存する本陣遺構の考古学的分析(形状・寸法など物質のもつ様々な属性の分析)を元にその構造的特徴を割り出し、さらに当時史料を含む稜堡式築城教本群について総覧・精査を行い、これらを併せ照合することによって「戸切地陣屋の設計の元となった文献」について推定するための調査・研究を実施しました。

まず、本陣遺構の考古学的分析です。本陣の設計図面は遺されていませんが、現在遺されている土塁・壕などの遺構の各部の寸法を計測・比較し考古学的に分析することによって、その形状や構造にのこる法則性や規則性を見つけ出し、当時の設計理念を明らかにできないか試みました。
その結果、本陣遺構は、一辺200mの正方形とその中央等分線・対角線を基準とした極めて対称的かつ幾何学的な星形構造に設計されていることが推定できました(図18)。これを元に当時の設計計画を復元し図示したのが図19です。

図18.戸切地陣屋現存遺構の各部計測値
※図は『史跡松前藩戸切地陣屋跡 環境整備事業報告書』(上磯町教育委員会2000)より

図19.各部計測値から推定した戸切地陣屋本陣の設計および計画寸法 ※単位:メートル

この「正方形の四頂に四つの稜角尖端を置き正方形の四辺・対角線・中央等分線を基準として幾何学的に堡塁を設計する」という手法が稜堡式築城術に存在するかを確認したところ、古くは17世紀末~18世紀初頭に築城の名手として名を馳せたフランスのセバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(1633-1707)と彼の弟子らによって体系化・平易化・汎用化が進められた、いわゆる「ヴォーバン式」と呼ばれる稜堡式築城術の基礎理論、いわば「定理」のひとつとして導き出され(図20)、以降戸切地陣屋が築造された19世紀半ばに至るまで築城あるいは砲術・兵学教本の中で脈々と継承され記載され続けていることがわかりました(例:ヘクター・ストレイス著"Treatise on Fortification and Artillery",1848)。

図20.(左)ヴォーバン教本(1693)に見える、正方形を基準とする稜堡を持つ要塞の模式図(右)ストレイス教本(1848)に見える、正方形を基準とする稜堡を持つ要塞の模式図

稜堡式築城は15世紀イタリアで発祥した対銃砲戦築城法で、当時洋式の城郭で一般的であった円形塔堡の死角を解消すべく菱形の稜堡とし、さらに砲撃によるダメージを軽減すべく外壁を土塁とし……と時代に沿って徐々に発達を遂げていきました。
この発達のひとつの転機となったのが、17世紀初頭の「座標」概念を含む幾何学である解析幾何学の出現です。この解析幾何学をもって稜堡式堡塁の設計を科学的に理論づけ整理する試みはオランダのS.マロロワ(1572-1627)やフランスのB.F.パガン(1604-1665、図21)らによって推進され、特にパガンの成果はその弟子であるヴォーバン(図22)によって体系化され、さらにその弟子とされるカンブレー(生没年不詳)の手により教本にまとめられ("Nouveau traite de geometrie et fortification"、英訳題"The New Method of Fortification"、以下「伝ヴォーバン教本」)人口に膾炙(かいしゃ)し、先述の通り「定理」として伝世していくこととなります。

(左)図21.ブレーズ・フランソワ・パガン(1604-1665)。フランスにおいて幾何学と築城とを初めて組み合わせ、稜堡式築城術を科学的に大きく前進させた。
(右)図22.ヴォーバン(1633-1707)晩年の肖像(イアサント・リゴー画)。パガンの理論を実践的に発展させ稜堡式築城術を体系化した。

次に問題となるのは、「設計者である藤原主馬(重太)が、いかにしてその理論を知り得たか」ということです。そこで、これらヴォーバン式の設計理念を記載した各時代各国語教本のうち、「藤原重太の入門時点で師匠である佐久間象山が(当時の鎖国状況下の日本でも)入手可能なオランダ語文献で、かつヴォーバンの築城基礎理念について記述のある著作」が存在するか、総当たりでの調査を行いました。

その結果、上記の条件を全て満たす、戸切地陣屋設計の基礎となっている可能性が極めて高い洋式築城術教本を突き止めることが出来ました。それは、フランスのN.サヴァール(1765-1825)によって著され、オランダのF.P.G.ナニング(1798-1832)によって訳された"Beginselen der versterkingskunst"(題意訳:『要塞築城術原論』、以下「サヴァール教本」)でした。

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