石垣や土塁で囲った小さな広場のことを枡形(ますがた)と言います。
この枡形は虎口の最終的な発展系と言われており、城内からの攻撃が有利になるように考えられています。
近世城郭における出入り口の最終到達点ということですね。
今回はこの枡形について学んでいきましょう。
枡形虎口(ますがたこぐち)の形
城の出入り口である虎口(こぐち)を石垣や土塁で囲った小さな広場のことを枡形(ますがた)と言います。
枡とは、お米やお酒を測る方形の容器のこと。
なので、基本的には四角い形になっています。
枡形は虎口の最終的な発展系と言われていますが、最初は桃山時代に作られたと言われています。
関ヶ原の戦い慶長5年(1600年)を契機に枡形が急速に発達しました。
枡形は広くなり、城の外側に高麗門(こうらいもん)、内側に櫓門(やぐらもん)を備え、とても厳重な作りになっていきました。
最も厳重な形は、高麗門と櫓門の二つの門を構え、さらに多聞櫓で三方を取り囲んで、堀をめぐらせたものです。
英語ではdeath boxとでも呼ぶのでしょう。(参考:「城バイリンガルガイド」)
左折れと右折れ
枡形虎口には左折れと右折れというのがあります。
虎口を厳重に守ろうとする場合は通路を折り曲げますが、枡形の場合も同じです。
枡形は二つの門で厳重に守りますが、枡形内で敵が直進できないように二つの門を直角に配置するのが通例です。
敵から見て右に折れ曲がる枡形、いわゆる右折れが圧倒的に多くなっています。
これは櫓門の上から敵に矢を射ることを想定しているからです。
つまり城外から高麗門を突破してきた敵に対し、矢を射る時は左側に敵を見るほうが攻撃するのに有利なためです。
中には左折れの姿もあります。
徳川大阪城や小田原城などは左折れの枡形です。
まとめ
城門を二重にして厳重な出入り口とした枡形というものがありました。
これは城の虎口の最終的な、そして最強の防御施設となりました。
左折れと右折れの枡形がそれぞれあり、門などが復元されたところもあるので全国のお城で枡形を探してみると楽しいでしょう。
ということで城門を厳重な形にした枡形についてのお話でした。
じゃあね🖐️
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