番所 の検索結果:
お城の城内には、番所というものがいくつか置かれていました。番所には城内で様々な仕事をする人たちが詰めていました。城内の見張り小屋と言っても良いこの場所について、今回は見てみたいと思います。 番所の構造 番所(ばんしょ)はほとんどが一戸建ての独立した建物でした。畳敷きの2室程度の平屋で、正面に低い縁側を設けています。屋根は瓦葺きがほとんどですが、番所は格の低い建物だったので略式の桟瓦(さんがわら)もよく使われていました。 番所の種類 番所にはいくつか種類がありました。御殿や主要…
…えられていました。 番所(ばんしょ) 城の門から出入りするものを見張ったり、城内の見回りをする役目の人たちが詰めている場所があります。この番所は門の近くなどに作られていました。 櫓(やぐら) 曲輪や城内を守るために、天守以外にも櫓を多数配置していました。櫓は平櫓(一階建て)、二重櫓、三重櫓、門と一体化した櫓門、多門櫓などがあります。 御殿(ごてん) さらには政(まつりごと)を行うために御殿がありました。御殿は政以外に城主の住まいとすることもありました。 その他 これらの建物以…
…には警備の人の詰所(番所)もありました。 また琉球には神聖な場所にはサンゴを敷いて場を清める風習があるのですが、ここには伊是名島「東の浜」のサンゴが敷いてあります。もちろん「アガリのはま」と読みます、もうおぼえましたね。 そしていまは総漆喰ですが、かつては瓦葺きの屋根だったそうです。信長も一部の家臣にしか瓦葺きの建物を建てる許可を与えませんでしたが、当時の琉球も瓦を葺くには許可がいりました。ここは王族の墓所なので瓦が使えたというわけです。その名残りとして側面にはこのように丸瓦…
…殿のほか、いまも残る番所や米蔵なども記載されてますね。(北大手門の下にある建物と、中央下にある建物がわからない) 京都府庁が二条城に移転する前は京都守護職上屋敷にありました。ここは現在の京都府庁がある場所で、要するに庁舎が同じ場所に戻ってきてるわけですね。移転後の1872年(明治5年)2月7日には京都府が修繕費用の増額を大蔵大輔・井上馨に申請するのですが却下されています。こういう記録は残ってるんですね。 廃城令を生き残った二条城は府庁から離宮に そして1873年(明治6年)に…