攻城団ブログ

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特別展「桃山─天下人の100年」の後期展示を見てきました

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先週、東京国立博物館の特別展「桃山─天下人の100年」の後期展示を見てきました。
コロナウイルス感染症がまた流行しつつあるということでちょっと迷ったのですが、前回訪問したときよりも空いていて密を避けて見学することができました。
もっとも人混みが予想される繁華街にはいっさい行かず、東京に行ったというよりは京都と上野を往復しただけという感じでしたが。

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展示されている作品はどれも見事で、ぼくが推薦するまでもないのですが、ちょっとだけ発見したことがあったのでレポートを書きます。

「唐獅子図屏風」と「松林図屏風」が並んでる!

前期では狩野永徳「檜図屏風」、長谷川等伯「牧場図屏風」の並びでしたが、後期は「唐獅子図屏風」&「松林図屏風」というふたりの代表作が横並びに展示されていました。

 

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「松林図屏風」(左)、「唐獅子図屏風」(右)

どちらも実物ははじめて見たのですが、「唐獅子図屏風」は高さが2m以上あって自分の身長をこえる高さの屏風に圧倒されました。とにかくデカいんです、そこにかわいさと威厳を併せ持つ雌雄の獅子が描かれています。

今回はビクセンの単眼鏡を借りたので細部まで拡大して見てみたのですが、ただただ感動しますね。
冒頭のとおりすごく空いてたので、一瞬だけですけど「唐獅子図屏風」の前にぼく以外誰もいない、独り占めする時間が持てたこともうれしかったです。

九七の桐を見つけた

展示の最後のコーナーに二条城の釘隠しが2つ並んでるんですが、ここでひとつ発見しました。
前回の訪問時に「九七の桐」が彫られた釘隠しの展示を見つけて(この釘隠しは全期間展示なのでいまも見れます)、はじめて見る図柄だったのでいろいろ調べたのですが、なんと二条城の釘隠しにもあったんです。

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撮影不可なので図録の写真で紹介します。

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展示されているのは大広間と黒書院の釘隠しで、いずれも花熨斗型と呼ばれる形状です。
いずれも「桐に鳳凰」の彫刻が入っているのですが、大広間は「五七の桐」で、黒書院は「九七の桐」になっているのです!

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大広間の釘隠し

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黒書院の釘隠し

しかも黒書院のほうは真ん中に「雲に龍」も彫られていて、明らかに大広間のものよりも豪華につくられています。
二条城の二の丸御殿は大広間を最高格式として、だから棟梁の狩野探幽が障壁画を担当したと聞いてきただけに、釘隠しの格式は黒書院のほうが上? とちょっとぼくもまだ理解が追いついていないのですが、機会があれば二条城に聞いてみようと思います。

図録の解説によれば、黒書院のほうは安土桃山時代、大広間は江戸時代初期に見られる意匠で、黒書院のほうは家康が築城した頃の釘隠しの可能性があるとのこと。
ちなみに「桐に鳳凰」や「雲に龍」は定番の図柄の組み合わせで、たとえば桐は鳳凰の止まり木ということからセットで描かれます(ほかに「竹に虎」「牡丹に唐獅子」など花札でよく見る図柄はだいたいそうです)。

ただ前回の調査では「九七の桐」は足利義昭が使用したことしかわからなかったので、なぜ徳川家の二条城に使われているのかも謎のままです。
でも「九七の桐」があることはまちがいないので(肉眼でも見れます)ぜひこれから後期展示に出かけられる方はチェックしてみてください。

でも最大の見所は元信・永徳・探幽の揃い踏み!

これらの作品も感動したんですが、今回いちばん感動したのは狩野元信、永徳、探幽の3人の水墨画を並べた展示でした。

  • 狩野元信「四季花鳥図屏風」6曲1双
  • 狩野永徳「花鳥図襖」(聚光院)4面
  • 狩野探幽「雪中梅竹遊禽図襖」(名古屋城)4面

このうち狩野元信の「四季花鳥図屏風」がどこの作品か不明なのですが、お城好きとしてはやっぱり名古屋城に復元された本丸御殿を飾っていた狩野探幽「雪中梅竹遊禽図襖」からその祖父である永徳、さらにその祖父にあたり狩野派を一大絵師集団として工房化した元信の絵と見比べるというのは至福であり眼福でした。

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「雪中梅竹遊禽図襖」(左)と「花鳥図襖」(右)

障壁画の絵師として永徳と探幽が比較されるとき「豪快な大画様式の永徳」、「瀟洒で余白を活かした探幽」というような紹介のされ方が多いのですが、たしかに元信との比較もおもしろいですね。
ここに展示された水墨画だけでいうと、探幽の余白はたしかに目立つのですが、永徳よりも元信のほうが描き込んでいて、時代に連れて描き込み量が少なくなっていっていることがわかります。
(そして3つの作品、合計14面もの絵をパノラマで見れるという展示方法が最高です)

前期は前期、後期は後期

今回の訪問理由でもあるのですが、前期とかなりの作品が入れ替わっています。
「洛中洛外図屏風」も前期の「歴博甲本」「上杉家本」に代わり、後期は「勝興寺本」が展示されていました。この「勝興寺本」は二条城のガイドブックをつくる際に、画像をお借りするために問い合わせた思い出深い作品です。

けっきょくガイドブックにはほかの障壁画を採用して使わなかったのですが、こんなふうにはっきりと二条城が描かれています。

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「洛中洛外図屏風」部分(勝興寺・富山県高岡市)

元和年間の京都を描いたということで、寛永行幸のための改修前、家康が築いた頃の縄張りが推定されています(なので天守の場所が御殿から見て北西)。
狩野永徳の次男で、狩野探幽の父である狩野孝信の作品と伝わっています。

ほかにも三好長慶に代わって足利義輝の肖像画とか、織田信長の陣羽織に代わって小早川秀秋の陣羽織とか、どちらもテンションが上りまくる作品ばかりなので、前期展示をご覧になられた方もきっと楽しめると思います。

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一部変更とはいえ、かなりの量の作品が入れ替わっていました。
それは(全会期にあたる)2ヶ月間も置いておけないくらい人気の作品ばかりということの裏返しなのだろうと思いますし、桃山文化を代表する作品を一度に展示しきれないくらい集めたトーハクのすごさでもありますね。

会期は11月29日(日)までですので、前期を見た方も、まだ未訪問の方も、ぜひ出かけてみてください。
どの作品に圧倒され、どの作品に魅了されたか、語り合いたいです!

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