明智光秀の丹波攻略で激戦となった「黒井城の戦い」の戦場となったのはその名のとおり黒井城ですが、現地には「保月城」と書かれた城址碑があります。どっちが正しいのかという記事です。
保月城は通称で、もともとは初代城主である赤松筑前守貞範が「保築城」と呼んでおり、その後「築」が「月」に転じて保月城となったとか。
余談ですが光秀が攻め落としたあとは斎藤利三が城主となっており、もし大河ドラマに関連付けるなら赤井直正もいいんですが、こっちをアピールしたほうがいいかも。
春日局が生まれた城でもあります。
さらに光秀が「山崎の戦い」で敗れると、秀吉が支配することとなり、のちに松江城を築いた堀尾吉晴が城主になっており、いろいろほかのお城とつなげるコンテクストがつくれそうですよね。