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11月23日(日)、高浜公民館(福井県高浜町)において高浜町史刊行記念展関連イベント・記念講演会「中世の高浜~鎌倉時代の青郷と御家人青氏をめぐって~」が開催されます。参加無料、定員60人、事前申込不要。 日時:2025年11月23日(日)13:30~15:00 場所:高浜公民館 2階 多目的ホール 講師:外岡愼一郎氏(元奈良大学教授) 参加費:無料 定員:60名※事前申込不要 kojodan.jp
現在、高浜町郷土資料館(福井県高浜町)において令和7年度秋季企画展「高浜町史刊行記念展」が開催中です。12月14日(日)まで。 期間:2025年11月9日(日)〜12月14日(日)9:00〜17:00(最終入館16:30) 休館日:火曜日 場所:高浜町郷土資料館 2階 多目的ホール kojodan.jp 入館料:大人200円 公式サイト:https://www.town.takahama.fukui.jp/page/kyouiku/p008582.html 高浜町郷土資料館の…
…町歴史シンポジウム「鎌倉時代の東氏~胤頼・重胤・胤行三代を中心に~」が開催されます。要事前申込。 日時:2025年9月27日(土)13:00~16:30(受付12:30~) 場所:東庄町公民館 大ホール 内容:基調講演「鎌倉時代前期の東氏一族-鎌倉・西国への展開-」野口実氏(京都女子大学 名誉教授)報告「鎌倉時代の東氏の浄土信仰」植野英夫氏(千葉県教育振興財団 理事長)報告「水陸交通から見た須賀山城跡」遠山成一氏(千葉市立郷土博物館 研究員)報告「東氏出身の五山禅僧たち~龍山…
…しますと、山上城は、鎌倉時代に藤原秀郷の子孫、山上五郎高綱によって築城され、戦国時代末期に武田勝頼に攻められたのち廃城となりました。この城跡は群馬県の指定史跡となっています。城の構造は並郭構造で、北から南へ笹郭・北郭・本丸・二の丸・三の丸・南郭と一直線に並んでおり、川や谷などの自然を要害とした丘城と言われています。城下町の名残として元町・鍛冶屋などの地名が残っています。と説明がございます。戦国時代は上杉、後北条、武田氏による争奪戦の場所でもあります。武田氏の支配の特徴でもある…
…メッセージ 西尾城は鎌倉時代の初期に三河守護となった足利義氏(あしかがよしうじ)が築いた西条城に始まりともいわれている歴史ある城跡です。抹茶や鰻などの特産品に恵まれた西尾市の中心市街地に位置しています。 私が指定管理者として自主企画担当になってからは、書家・渡部裕子さんに手掛けていただいている「御城印」や「西尾の特産品」をつうじて、「どう西尾城や西尾を楽しんでいただくか?」ということを常々考えており、今回初めて西尾城の御城印が特産品の一つ「日本酒・尊皇」とコラボレーションしま…
…思われます。志津城は鎌倉時代に志津胤氏の居館だったとされ、臼井一族お家騒動の舞台でもあります。志津城の御城印には、印旛沼、臼井城との位置関係が分かる地図をデザインしました。また、城域からは骨臓器として使われた中世の常滑焼の大甕が出土していることから中世常滑焼きの大甕をイメージして描きました。あわせて、千葉氏の家紋「月星」、「九曜」と、志津氏の家紋と伝わる「丸に違い鷹の羽」を配置し、鎌倉時代の城主と伝わる志津胤氏をイメージして武士の姿を描きました。 collection.koj…
…のメッセージ 中城は鎌倉時代には猿尾(ましお)太郎種直の居城だったと伝わり、猿尾氏は鎌倉幕府最後の将軍である守邦親王が鎌倉幕府滅亡の際、この地に逃げ込んだのを助け、匿ったといいます。今に残る中城の遺構は戦国時代のもので、二重土塁、横堀、横矢掛かり、虎口などの遺構が良好に残っており、発掘調査からも15世紀後半の築城だと考えられています。扇谷上杉氏の家臣上田氏に関係した城であると考えられているため、御城印には扇谷上杉氏の家紋と縄張図をデザインしました。また、中城は万葉集研究で知ら…
…台紙は飛騨市河合町で鎌倉時代(約800年前)から続く伝統の和紙「山中和紙」を使用し、姉小路氏城跡の5城(古川城、野口城、小島城、向小島城、小鷹利城)と金森長近が飛騨国支配における古川盆地の押さえとして築いた平城の増島城をにっぽん城まつり城まつり2024参城記念としてご用意いたしました。 collection.kojodan.jp collection.kojodan.jp collection.kojodan.jp collection.kojodan.jp collecti…
…んからのメッセージ 猿掛城の御城印には、鎌倉時代から戦国時代まで猿掛城を本城とした庄氏の家紋 「軍配団扇紋」、庄氏に養子を送り、実質的に支配下に組み込んだ三村氏の家紋「丸に三つ柏」、三村氏に替わって猿掛城に入った毛利氏の家紋「一文字に三つ星」をデザインしました。また、庄家長が源平合戦の際に、平清盛の5男重衡を捕らえたと伝わることから「平家物語絵巻」をモチーフにするとともに、猿掛城の城山の山容と、地形がわかる地図をモチーフにしました。 collection.kojodan.jp
…本郭がよく残存しているのが分かります。 網戸城 結城一族の網戸氏の城郭として鎌倉時代に築かれたといわれる栃木県小山市南部の御城跡です。敷地は網戸神社になっており、おんな地頭としても有名な「寒川尼」の墓もあります。裏側の絵図面には大正時代の思川河川工事の絵図面を許可を得て掲載しています。大正時代の時点でお城の痕跡はありませんが、お寺や神社が急に集中する本地域に城跡地特有の雰囲気が広がります。 collection.kojodan.jp collection.kojodan.jp
…メッセージ 堀川館は鎌倉時代から戦国時代に使われた居館跡で、現地には土塁と堀の痕跡が残ります。築城等に関する詳細は不明ですが、千葉一族の庶流である堀川氏の居館と伝わっています。戦国時代には、野手周辺を領していた同じく千葉一族椎名氏の庶流である野手氏によって堀川館は攻められ、堀川氏は家臣ともども討ち死にしたと地元に伝わっています。堀川館の発掘調査では、台と歯を一木から作る鎌倉時代の連番下駄が出土しています御城印にはイメージとして下駄の絵を描きました。 collection.ko…
…ある天羽氏が平安時代末期から鎌倉時代に天羽の地を領し、苗字の地としたと考えられています。今に残る天羽城は室町期以降に築かれた山城で、真里谷武田氏の峰上城と連携して機能していたと考えられています。また、天羽城周辺には里見義実が創建し、正木時治が再興したとの伝承をもつ見性寺があることから、天羽城と正木氏の関連も指摘されています。御城印には街道や集落、さらに河川が描かれた地図をモチーフとするとともに、天羽の谷や山の景色をイメージしました。 collection.kojodan.jp
…鶉古城につきましては鎌倉時代末期に執権北条高時の一族が落ち延びて築城したのが始まりだと言われております。戦国時代には館林城主の重臣の城となり小田原北条氏に備え、その後は小田原北条氏の支配することとなり天正18年の豊臣秀吉の小田原攻めの際、館林落城に伴い廃城となりました。250年もの間、上州邑楽を治める要城だったそうです。その上州邑楽には豊富な砂鉄が取れる地域で刀が打たれており、江戸時代には徳川幕府お抱えの幕府御用鍛冶となりました。初代康継は徳川家康より一字を与えられ、また葵紋…
…の詳細は不明ですが、鎌倉時代前期には、横田郷の在地領主と考えられる「横田悪四郎入道」なる人物が上総国御家人として記録されています。戦国期になると横田郷は真里谷武田氏の支配を受け、武田氏の流れをくむと言われる葛田氏が在地領主となっていた可能性があります。葛田氏の初代とされる信恒は、里見義尭と戦ったのち里見氏の軍門に下り、横田郷を与えられたと伝わります。小坪館が築かれた横田郷は、中世期には上総国畔蒜荘の荘園が広がっていて調査されています。御城印は横田郷の復元鳥瞰図をモチーフにする…
…に築かれた海城です。鎌倉時代には幕府の港湾施設「和賀江嶋」が築かれた海上交通の要衝に当たります。戦国時代には伊勢宗瑞(北条早雲)と三浦道寸の戦いの舞台になりました。道寸は住吉城の守備を弟の道香に任せ、自身は本拠の三崎城(新井城)まで退きました。籠城の末、道香は自害を遂げました。そして、その約3年後に三浦一族は三崎城(新井城)で滅亡しました。住吉城に鎮座する住吉神社からは、地域の信仰のシンボルであった江の島や富士山を眺めることができ、絶景を楽しめます。住吉城の御城印には、行き交…
…3年度後期特別展示「鎌倉時代の京都」が開催中です。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で注目されている鎌倉時代の遺構・遺物などが展示されています。 期間:2022年2月11日(金・祝)~6月19日(日) 9:00~17:00(最終入館16:30) 休館日:月曜日※祝日の場合は開館,翌平日が休館 場所:京都市考古資料館 1階特別展示コーナー collection.kojodan.jp 入館料:無料 主催:京都市、京都市考古資料館、公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所 後援:歴史街道…
…河ドラマは源平合戦、鎌倉時代を舞台にした作品です。上州群馬には源平盛衰記や平家物語、吾妻鏡などに名前が出てくる人物達やそのゆかりの地、そして伝承が多く存在します。群雄印【上州源平版】を通じて多くの方にそういった歴史を伝えて上州群馬、そして源平合戦の人物達に興味を持って頂ければと思います。また今回は源義仲の遺臣が築城したと言われている群馬県渋川市にある箱田城ですが今回の企画に賛同してくださった群馬県渋川市の観光課、文化財保護課様のご協力を頂き、いままで立入禁止の城跡も一部立入禁…
…れました。神崎師時が鎌倉時代中期に築城したと伝わりますが、現在の遺構は戦国時代のものと推察されます。御城印には、水上交通と陸上交通の要衝地だった神崎の地図をモチーフにし、香取の海と行き交う舟、そして神崎のシンボルである神崎神社の鎮座する神崎山から神崎城へ続く丘陵をデザインしました。神崎氏は千葉一族の庶流であることから、千葉一族の家紋「月星」と「九曜」を配置しました。 「西の城」西の城は戦国期には城郭群の中で中心であったと思われます。現在は、町の公共施設が建っていますが、周辺に…
…小説「樅ノ木は残った」に発表、この小説を原作にNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」が放映されて50年。御城印には船岡城のミニ歴史ガイド付きです。寛文事件の当事者 原田甲斐宗輔・柴田外記朝意が治めた船岡。藩政時代の船岡城、鎌倉時代のはじめの山城「芝田館」の遺構も見ることができます。地元の「しばた歴史観光ガイドの会」の案内も好評です。コースも数種類用意しています。 collection.kojodan.jp kojodan.jp 情報開示 この御城印は攻城団が制作を請け負いました。
…ます。 今回 臨地講座となる 楠木城跡は 主郭(本丸)には 帯曲輪が取り巻き、又、天候条件さえよければ、正成の終焉の地 湊川方面が望めます。鎌倉時代末の武将で、後醍醐天皇による建武の新政の立役者となった 楠木正成の三名城に足をお運び頂ければ幸いです。 news.kojodan.jp collection.kojodan.jp collection.kojodan.jp collection.kojodan.jp kojodan.jp kojodan.jp kojodan.jp
…」江戸時代(18世紀)永青文庫蔵 国宝「柏木菟螺鈿鞍」鎌倉時代(13世紀)永青文庫蔵 ※展示期間:8/24(火)~9/20(月・祝) 重要文化財「白糸褄取威鎧」細川頼有所用 南北朝時代(14世紀)永青文庫蔵 「薄茶緋羅紗地陣羽織」細川忠利所用 江戸時代(17世紀)永青文庫蔵 「紫糸素懸威鉢巻形兜」細川忠利所用 江戸時代(17世紀)永青文庫蔵(熊本県立美術館寄託) 「桐紋透唐草文鐔」神吉楽寿作 江戸時代(19世紀)永青文庫蔵 「掛分茶碗 銘 念八」江戸時代(17世紀)永青文庫蔵
…、蒙古襲来絵巻とも。鎌倉時代の作品だが、作者不明。竹崎家衰退後、大矢野家に伝えられたが、明治時代に献納された。 筆者不明。竹崎季長自身は絵巻を注文しました。 - 蒙古襲来絵詞, パブリック・ドメイン, リンクによる 収蔵作品詳細/蒙古襲来絵詞 - 宮内庁 絹本著色動植綵絵(どうしょくさいえ) 近世日本の画家・伊藤若冲の代表作のひとつで、相国寺に寄進されたが、明治時代に皇室に献上された。経済的に恵まれていた若冲が時間と労力を存分に費やし、さらに当時の最高品質の画絹や絵具を使用し…
…く、成東城が水上交通の要であったことがわかります。1450年代には馬加千葉氏の勢力下になり、戦国時代の情勢の中で改修されながら機能したと思われます。台地全体を城郭化し広大な城域を誇る成東城の地形がわかる地図と縄張図をモチーフにしました。鎌倉時代からこの地を領有していた千葉氏の家紋「月星」と「九曜」、そして、享徳の乱を契機とし、主家を滅ぼし千葉氏当主となった馬加千葉氏の家紋「月星(星が真上)」をデザインしました。 collection.kojodan.jp kojodan.jp
…て」と呼ばれており、鎌倉時代から土豪・舘野氏の居館が営まれていた可能性を示唆しています。御城印の左上、右下にはそれぞれ塙北城と塙南城の縄張り図を面積比がわかりやすいようにデザインしました。左下の塙城印は、かつて塙城主が大蛇を退治し、近くの塙不動堂で供養したとの伝説が残っていることから蛇と不動明王の梵字をデザインしたものです。 福田城 常陸土岐氏の家紋「土岐桔梗」を中央に配しています。「福田」の地名の由来は、もともと開墾困難であった深田を良田にしたいとの願いから生まれたものとさ…
…ージ こんにちは!長野原町は上田市さんと沼田市さんを繋ぐ真田街道の通る真田氏ゆかりの地です。今回、著名な長野剛さんのイラストを使用させて頂き長野原町を少しでも知って頂ければと思い特別印を制作させて頂きました。長野原町には真田幸隆本陣跡や真田氏が治めた丸岩城、鎌倉時代には源頼朝が発見したとされる川原湯温泉、さらに昨年は八ッ場ダムも完成しました。歴史ロマン、温泉、雄大な自然、壮大なダムをご覧に是非いらしてください。 collection.kojodan.jp kojodan.jp
…ジ 森山城周辺の地は鎌倉時代から千葉一族「東(とう)氏」の本拠地で、森山城の東側に隣接している須賀山城も東氏が築いた城と伝わります。 常陸との国境である森山城は重要な城として取り立てられ、後に千葉宗家当主になる千葉胤富も森山城に入りました。千葉氏の家紋「月星」を配置し、古文書に書かれた胤富の花押と、胤富のものと思われる鶴の黒印をモチーフにしました。 小見川城は小見川城山公園になっていて、部分的ではあるものの、戦国期の土塁や空堀が良好に残ります。香取の海と直結する水運の要衝のた…
…ください。 山城ガールむつみさんからのメッセージ 多古の中心である中村の台地に築かれた中城周辺には、鎌倉時代から日本寺をはじめとする日蓮宗寺院が建てられ、北総一円の日蓮宗の布教拠点となっていました。千葉氏宗家は熱心な日蓮宗徒であり、このことからも千葉氏宗家と多古の関係の深さが分かります。御城印には、中世からの重要地に築かれた中城の縄張図を中心にデザインするとともに、千葉氏の家紋である「月星」を配置しました。現地には、方形の郭や虎口、土塁、腰曲輪などの遺構が良好に残っています。
…世武家の名族であり、鎌倉時代は、幕府を支える有力な御家人でした。もっとも1247年におこった宝治合戦により、一族の主流が滅びますが、佐原三浦家が宗家を継ぎ、戦国時代は、三浦義同を中心に扇ガ谷上杉氏に組みし、相模における反北条の旗頭でもありました。三浦一族は、その水軍の操船に関する高い能力により、中世期より全国の津々浦々に所領を持ちました。そのため、今でも全国の港湾都市の周辺には三浦の地名が多く残ります。 三浦一族城郭保存活用会は、三浦一族研究会の事務局長をつとめる山城ガールむ…
…平家に伝わった宝刀で鎌倉時代の名匠粟田口国綱の作とされる「神気」(県有形文化財)、800年代に平城天皇の皇子の護身用に作られたと伝わる「神息」など13振りが展示されています。 www.nishinippon.co.jp 今年は初めて、武将にふんした女性の案内役「島原城七万石武将隊」の解説も登場。神気と神息の切っ先の違い、神気のゆったり寄せる波のような刃文や特徴的な銘の入れ方を「松平忠雄公」が説明し「じっくり味わってくだされ」と話した。19、27日に各日2回行われる。入場には島…