6月7日(土)と6月8日(日)に開催される「群馬戦国御城印サミット第6弾」の会場において今村城の御城印が2種類発売されます。1枚400円。
販売開始日:
2025年6月7日(土)
販売場所:
ホテル1-2-3前橋マーキュリー
※その後の販売店は未定
販売価格:
各400円(税込)
群馬御城印プロジェクトの吉澤さんからコメントをいただけたのでご紹介します!
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6月7日(土)と6月8日(日)に開催される「群馬戦国御城印サミット第6弾」の会場において今村城の御城印が2種類発売されます。1枚400円。
販売開始日:
2025年6月7日(土)
販売場所:
ホテル1-2-3前橋マーキュリー
※その後の販売店は未定
販売価格:
各400円(税込)
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今村城は古墳を利用して本丸とした平城で、戦国時代に佐位・那波両郡を支配した那波氏の居城である。那波氏は、永禄年間(1558 年~ 1570 年) に越後の上杉謙信の軍門に下り、太田の由良氏に赤石城を奪われた後、那波駿河守顕宗のときに今村城を本拠としたと考えられている。現在は本丸跡の痕跡だけ残す。※伊勢崎市HP より
那波 顕宗(なわ あきむね、天文17 年(1548 年)-天正18 年10 月18 日
(1590 年11 月15 日))は、戦国時代後期の武将。上野国今村城主。那波宗俊の子。
通称は次郎。官途名は駿河守。妻は北条高広の娘。子に安田俊広。
永禄3 年(1560 年)に父・宗俊が上杉謙信に居城の赤石城を落とされて降伏した際に人質として厩橋城に送られる。北条方とされた宗俊は所領を奪われて程なく没した。那波氏の所領は上杉氏に味方した由良氏(横瀬氏)に与えられていたが、天正2 年(1574 年)に由良氏の後北条氏への離反に直面した上杉氏は那波氏の旧領復帰を図る。だが、赤石城は由良氏の支配下にあったため、近くの今村城を取り
立てて顕宗をそこに入れたという。
だが、上杉謙信の没後に始まった御館の乱で義父で厩橋城主である北条高広とともに上杉景虎を支援するが敗北、以後武田氏・滝川一益(織田氏)に従う。だが、本能寺の変後は上杉氏に復帰した義父と袂を分かって後北条氏に従い、天正11 年(1583 年)8 月には北条高広の侵攻を受けて撃退している。
だが、天正18 年(1590 年)の小田原の役で後北条氏について敗れて再び所領を失い、上杉景勝を頼る。だが、同年10 月に上杉軍の一員として仙北一揆の鎮圧中に戦死する。安田能元の養嗣子になった次男・俊広以外の子には先立たれたのか、以後の那波氏の活動はみられず、顕宗の代で断絶したと見られている。※ウィキペディアより
現地はすでに田畑となってしまい遺構がほとんどなくなってしまっておりますが上州の名門でもある那波氏の居城であったことからすれば、歴史のある城でした。
埋もれた歴史を御城印を通して発信できたらと思っております。
サミット後の販売は未定となっております。