和歌山城は徳川御三家のひとつで第8代将軍徳川吉宗、第14代将軍徳川家茂を排出した紀州藩紀州徳川家の居城です。また姫路城、松山城と並んで日本三大連立式平山城のひとつでもあります。現在、本丸と二の丸が和歌山公園となっており、岡口門と土塀は国の重要文化財に指定されています。また、2006年(平成18年)に復元された御橋廊下は、江戸時代には藩主と側近のものだけが通行できる橋でしたが、いまは自由に通行することができます。なお、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』など多くのドラマの撮影が行われています。
目次
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和歌山城に関するデータ 情報の追加や修正
48.9 m
内郭:-- 外郭:--
3重3階
23.42 m
1585年(天正13年)に豊臣秀長が築城した際に天守があったかは不明だが『南紀徳川史』に天守の存在が記されている。1600年(慶長5年)に入城した浅野幸長のときも天守の存在は不明。その後、1619年(元和5年)に駿河から紀伊に入った徳川頼宣が建築した天守は、1846年(弘化3年)の落雷により焼失した。再建された天守は3重3階の連立式層塔型天守で1850年(嘉永3年)に落成、総工費は銀1616貫(約11億円)だったが、1945年(昭和20年)の空襲により焼失。現在の復元天守は1958年(昭和33年)10月に約1億円かけて再築されたもの。
豊臣秀長
着工 1585年(天正13年) 〜 竣工 1585年(天正13年)
1871年(明治4年)
浅野幸長、徳川頼宣
豊臣氏(100万石)、桑山氏(4万石)、浅野氏(37万6千石)、徳川氏(55万5千石)
岡口門、塀、庭園、石垣、堀
国の重要文化財(岡口門、続塀)、国史跡、国の名勝(西の丸庭園)、和歌山市文化財(追廻門)
天守、櫓、門、橋
項目 | データ |
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曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 48.9 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 連立式層塔型 |
天守の階数 | 3重3階 |
天守の種類 | 復元(外観復元)天守 天守の分類 |
天守の高さ | 23.42 m |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1585年(天正13年)に豊臣秀長が築城した際に天守があったかは不明だが『南紀徳川史』に天守の存在が記されている。1600年(慶長5年)に入城した浅野幸長のときも天守の存在は不明。その後、1619年(元和5年)に駿河から紀伊に入った徳川頼宣が建築した天守は、1846年(弘化3年)の落雷により焼失した。再建された天守は3重3階の連立式層塔型天守で1850年(嘉永3年)に落成、総工費は銀1616貫(約11億円)だったが、1945年(昭和20年)の空襲により焼失。現在の復元天守は1958年(昭和33年)10月に約1億円かけて再築されたもの。 |
築城主 | 豊臣秀長 |
築城開始・完了年 | 着工 1585年(天正13年) 〜 竣工 1585年(天正13年) |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
主な改修者 | 浅野幸長、徳川頼宣 |
主な城主 | 豊臣氏(100万石)、桑山氏(4万石)、浅野氏(37万6千石)、徳川氏(55万5千石) |
遺構 | 岡口門、塀、庭園、石垣、堀 |
指定文化財 | 国の重要文化財(岡口門、続塀)、国史跡、国の名勝(西の丸庭園)、和歌山市文化財(追廻門) |
復元状況 | 天守、櫓、門、橋 |
更新日:2024/04/26 03:24:07
和歌山城の見所や歴史などを紹介します。
和歌山城の見学情報・施設案内 情報の追加や修正
12月29日〜12月31日
項目 | データ |
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営業時間 |
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料金(入城料・見学料) |
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休み(休城日・休館日) | 12月29日〜12月31日 |
トイレ | |
コインロッカー | |
写真撮影 | |
バリアフリー |
和歌山城の見所は城メモをご覧ください
さらに先の週間天気予報については気象庁のサイト 等で確認してください。
和歌山城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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和歌山城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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