3月29日(土)から、華蔵寺遊園地内お土産店「しゃぼん玉」(群馬県伊勢崎市)において那波城の御城印が3種類発売されます。
販売開始日:
2025年3月29日(土)
販売価格:
通常版440円、春限定版550円、堀口城春限定版550円(いずれも税込)
販売場所:
華蔵寺遊園地内お土産店「しゃぼん玉」
群馬御城印プロジェクトの吉澤さんんからコメントをいただけたのでご紹介します。
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3月29日(土)から、華蔵寺遊園地内お土産店「しゃぼん玉」(群馬県伊勢崎市)において那波城の御城印が3種類発売されます。
販売開始日:
2025年3月29日(土)
販売価格:
通常版440円、春限定版550円、堀口城春限定版550円(いずれも税込)
販売場所:
華蔵寺遊園地内お土産店「しゃぼん玉」
群馬御城印プロジェクトの吉澤さんんからコメントをいただけたのでご紹介します。
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関八州古戦録に永禄二年、長尾景虎(上杉謙信)の那波城攻めの事が記され、宗俊の長男宗元とその子無理之介宗安が奮戦し、宗元は捕えられ宗安は落ち武者となって那波城は落城したと伝えられております。寄せての先陣は十七才の本庄繁長であったと言われております。その後宗安は那波を去って武田信玄へ士官し、箕輪合戦や駿河の戦いに勇名を馳せ、長篠の戦いで討死にしてしまいます。
また、日本城郭体系によれば長尾景虎は重臣の北条高広を那波城に置いて関東諸将の総横目(諸将を監視する総取締役)としました。那波宗元(宗俊の弟)は嫡男次郎を人質として本領を安堵され間もなく死去、次郎顕宗が継ぎ高広の妹が室となった。永禄六年、高広は厩橋城代となり移ったそうです。
天正六年(1578年)、上杉謙信死去後は那波顕宗は厩橋北条高広と共に小田原北条氏に従うも、武田氏、上杉氏が割拠する上州での那波氏はまさに時代に翻弄されていくのです。
那波顕宗は北条高広が武田勝頼に属した後も小田原北条氏に留まり、今度は北条高広と戦う事となったのです。北条高広により那波城が落城すると、顕宗は上杉景勝を頼り、のち天正十八年(1590年)に奥州九戸で討死にしたという。
同年、小田原北条氏の支城となっていた那波城は豊臣秀吉の小田原征伐軍に降り、その後は徳川家康の関東入府に伴い、松平家乗が一万石で封じられたそうです。
伊勢崎にお越しの際は是非訪れてみてください。