明智光秀が1570年(永禄13年)4月に福井県若狭町の熊川を訪れてから今年で450年となることを記念して、若狭町では「明智光秀書状」(熊本県立美術館所蔵)の複製を制作しました。
5月21日(木)から若狭鯖街道熊川宿資料館「宿場館」で展示する予定となっています。
永禄13年(1570)4月20日、信長による越前朝倉氏討伐の先遣隊であった光秀が熊川に入ったことを裏付けるもので、細川藤孝らに宛てた書状として当時の近況(午の刻に到着、武田氏家臣の信長出迎え準備、近江北部に異変がない旨など)が記されています。これをもって、その2日後の4月22日、信長は秀吉、家康らを従え熊川に入っています。(『三宅家文書』熊本県立美術館所蔵)
本書状は織田信長が越前朝倉氏を討伐する際、先遣隊として熊川を訪れた光秀が細川藤孝ら宛てに「今日の正午、熊川に到着しました」「越州口(敦賀)と近江の北郡いずれも特別なことはありません」などと報告する内容が記載されています。
また同日からは熊川城の御城印と攻城団とのコラボグッズである「ご当地缶バッジ」も販売開始となります。