朝日新聞が運営するウェブメディア「DANRO」に玉縄城についての記事がアップされています。
ぼくらも冗談で「現代においてもっとも攻めづらい難攻不落のお城」とか話してますけど、こういうメディアで記事になるくらいの知名度になったのはやはり北条早雲の影響でしょうか。
この玉縄城は三浦氏に対抗するため(三浦氏の頭を抑えるとともに、扇谷上杉氏との連携を遮断するため)、三浦半島の付け根に位置する大船に築かれたわけですが、なぜ女子校になったかというと、江戸初期に廃城になってるからですね。
(東急不動産がこのへんを開発したのは記事を読むまで知りませんでした)
この記事にもあるようにたしかに築いたのは北条早雲なんですけど、本多正信の居城であったこととか、一門の長沢松平氏の居城であったことなど、徳川家康にとっても重視されたお城だったことも知っておいてほしいかな。
なお見張り櫓があったとされる諏訪壇など校内の見学は事前に申請すればオッケーなのですが、平日および土曜日の午前のみなのでけっこうハードルは高いです。
あとさすがにひとりでいくには抵抗があるので、誰かといっしょにいきたい場合は「玉縄城址まちづくり会議」がたまにツアーを開催されてたと思います。
ぼくもまだ中に入ったことがないのでいつか見学したいと思ってるんですよね。