11月1日(火)、鍬溪温泉きすみのの郷とけやき焙煎所において小堀城・来住城・阿形城の御城印が発売されます。
販売開始日:
2022年11月1日(火)
販売価格:
各300円(税込)
販売場所:
・鍬溪温泉きすみのの郷(阿形城・来住城) 0794-88-8426
・けやき焙煎所(小堀城) 0794-68-9069
小野市地域振興部観光交流推進課の横山さんからコメントをいただけたのでご紹介します。
こちらもご覧ください!(広告掲載のご案内)
11月1日(火)、鍬溪温泉きすみのの郷とけやき焙煎所において小堀城・来住城・阿形城の御城印が発売されます。
販売開始日:
2022年11月1日(火)
販売価格:
各300円(税込)
販売場所:
・鍬溪温泉きすみのの郷(阿形城・来住城) 0794-88-8426
・けやき焙煎所(小堀城) 0794-68-9069
小野市地域振興部観光交流推進課の横山さんからコメントをいただけたのでご紹介します。
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現在販売中の豊地城御城印と併せて、城跡を巡り、歴史を重ねてきたその土地に触れていただき、販売店で食事など観光も楽しみながら小野市の持つ魅力をぜひこの機会に楽しんでください。
小堀城
河合運動広場南西300メートルに位置する中世の大規模な平城でした。地元では「コッポリ城」とよばれています。新部町の河合城(堀殿城)に近接して(南西約500メートル)築城されているため、古文献には両城が混同されて記述されているものもあります。
『三枝家由緒書』によると城主は赤松の一族衆光枝三郎正頼を初代としていますが、他の古城記類では、天正年間(1573〜1592)に三木合戦にも参加した三枝備中守治吉が見られるのみです。『三枝家由緒書』では、この治吉は小堀城を焼き払い、三木城に籠り、三木城落城後は帰農したと記されています。
城域は約150メートルの方形の範囲にわたって広がっており、大規模な城郭であったようです。城域の南西部には高さ約2メートルの土塁が70メートルにわたって現存し、「西門」の伝承が残る虎口が見られます。
来住城跡
JR加古川線小野町駅西方1.1キロ来住町家老戸谷にある中世城館です。現在畑になっている東西約55メートル南北約48メートル、高さ約2メートルの高台が城跡とみられ、周囲に堀の名残をとどめています。
城主は、清和源氏多田満仲の子孫である来住氏であるとされ、来住地区を領する一村領主であったようです。
古文献によれば、正和二年(1313)に、来住安芸守惟友によって築城されたと伝えられています。天正年間(1573〜1592)の城主は来住景政で、嫡子景利と共に別所方として三木合戦にも参戦し、両人とも戦死しています。これ以後、当城は長い歴史を閉じ、廃城となったようです。
阿形城
粟生駅から南700メートル地点に所在する中世城館で、舌状台地の先端部に位置しています。
古文献によれば、城主は別所長治の家臣油井土佐守勝利で三木合戦に参加したと伝えています。当城も羽柴秀吉に攻められ、天正九年(1581)に落城したと伝えられています。
城は台地の中心部が主郭で、その北に二郭、東に櫓台を配し、東・西・北の崖下には堀がめぐっていたようです。南は空堀によって区切られ、城側を「城山」、外側を「陣山」とよび、城域が南へ広がっていた可能性もあります。