別名 懸川城、懸河城、雲霧城、松尾城
お知らせ 詳細
掛川城は山内一豊の居城として知られています。「関ケ原の戦い」の際に一豊が徳川家康に掛川城の提供を申し出た逸話は司馬遼太郎の『功名が辻』にも登場します。明治以降は、廃城令によってほとんどの建物が撤去されましたが、1994年(平成6年)に天守が再建されました。この天守は日本初の木造復元天守です。重要文化財にも指定されている二の丸御殿は二条城などと並んで全国でも数少ない完存御殿建築遺構です。
掛川城を訪問した3757人の報告によれば、平均見学時間は1時間11分、平均評価は3.65点となっています。
目次
掛川城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
掛川城に関するデータ 情報の追加や修正
---
56 m( 30 m)
内郭:-- ha 外郭:-- ha
3重4階
16.18 m
3.6 m
304.96 m2
1590年(天正18年)に入城した山内一豊によって近世城郭に改められた。このときに3重4階の層塔型天守も築かれたが、1604年(慶長9年)の地震で大破した。その後、1619年(元和5年)に城主となった松平定綱によって1621年(元和7年)に天守は再建されたが、1854年(嘉永7年)に起きたいわゆる安政の大地震により大破し、破却された。現在の復元天守は1994年(平成6年)に再建されたもので、日本初の木造復元天守である。
朝比奈泰能
着工 1512年(永正9年)
1871年(明治4年)
山内一豊
朝比奈氏、石川氏、山内氏(5万石)、松平氏(3万石)、北条氏(3万石)、井伊氏(3万5千石)、小笠原氏(6万石)、太田氏(5万石)
二の丸御殿、太鼓櫓、石垣、土塁、堀(いずれも一部)
国の重要文化財(二の丸御殿)、県史跡
天守、門
登録日:2013/11/17 17:35:46
更新日:2024/11/21 12:13:25
掛川城の見所や歴史などを紹介します。
見学情報・施設案内 情報の追加や修正
---
---
---
身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者福祉手帳を所持する方とその介護者(1人分)が入館する場合は無料
掛川城の見所は城メモをご覧ください
さらに先の週間天気予報については気象庁のサイト 等で確認してください。
掛川城へのアクセス情報 情報の追加や修正
掛川大手門駐車場(有料)
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
掛川城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
掛川城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
掛川城の周辺3km以内にあるスポットを表示しています。
掛川城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
訪問レポートなど、これまで攻城団に公開された関連記事の一覧です。
掛川城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する