2017年に入団しました。本城(自宅)は大阪ですが、現在、単身赴任で、三重県に住んでいます。育った地域は、千葉県の上総国ですが、いろいろあって、先日まで、千葉県に約7年ほど、逆輸入?みたいな形で単身赴任していました。これから、三重県、愛知県、岐阜県、和歌山、奈良県を巡れたらなぁ、と思っています。
これから一生涯で達成したい目標
①100名城のコンプリート(60/100)
②続100名城のコンプリート(57/100)
③富士山登頂(未登頂)
④全都道府県の主要城郭5城攻城(24/47)
⑤旧国一宮の神社参拝、御朱印いただく(21/117)
⑥鉄印コンプリート(16/40)
⑦大仏参拝(選定中)
よろしくおねがいします。
百名城に選ばれる条件は以下の感じかと勝手に思っています。
1.遺構の残存状況が良好、もしくは、特徴的な遺構が遺っている。
2.歴史的な事件、出来事に関連している
3.交通アクセス
私は以下の城あとを推薦します。
①小幡城 茨城県
交通アクセスの難しさと中央の出来事に関与していないことはありますが、遺構は、百名城級です。
②足助城 愛知県
やや交通アクセスは難しいですが、日本初の調査に基づいて復元された城趾として、推薦します。実際、当時の山城がよくわかる城址です。
③坂本城 滋賀県
先日の石垣の発見もあり、明智光秀に関わる重要な城趾です。
④逆井城 茨城県
他の城からの移築遺構が多いですが、土塁、空堀がよく遺っています。
詳しくないのですが、出来れば、アイヌのチャシを一つ追加したいです。
私が育った地域での代表する戦国武将としては、里見氏を挙げさせていただきます。里見氏の中では、里見義堯、里見義弘の両武将を挙げさせていただきます。拠点が房総半島の真下の安房からだったし、関東には後北条氏が一大勢力だったこともあり、広げられた版図も房総半島くらいでしたが、その一大勢力の後北条氏と真っ向から戦っていたことからも誇らしい、地元の戦国武将です。
もう一つは、千葉氏です。戦国時代には、衰退の一途ではありましたし、どちらかというと、鎌倉時代に千葉常胤が一大勢力を築いた一族ですが、その後、日本各地に広がっていて、相馬氏など、戦国期に影響を与えた一族の源になる一族でしたので、挙げさせていただきます。
最近、城巡りの遠征をすると思うのですが、私は、「旅」が好きなんだろうなぁ、と思います。神社や観光地に行くのは昔から好きだったので、出かけると、その観光地のキーホルダーを買って集めてました。お城巡りは、私の「旅」に行くきっかけになっていると思います。
旅の主体は攻城なんですが、併せて、神社仏閣、観光地をルートに組み込んで、楽しんでます。攻城をしていると、第三セクターの鉄道を利用する機会があり、鉄印も集めるようになりました。旅を楽しく過ごす上で、その観光地の食事も楽しむようになっています。
以前、プロフィールとかに書いていたことなんですが、私がお城巡りを始めた時は、他サイトのGPSを使って、攻城を行うサイトを利用していました。当時も100名城や天守閣のある城あとには行っていましたが、それ以外は、近くを通過して、GPSで攻城を繰り返していました。なので、「おい、その通過した城あと、数年後には、攻城したくてウズウズしちゃう城あとだよ」と。
実際、京都府の福知山城は、当時は、福知山駅から遠目に見て、満足しちゃってました。今もって、攻城出来ていないので、もったいないことをしました。
攻城団に入団して、実際の城あとを訪問するようになり、遺構をみるようになりましたが、当時は、案内板のない城あとだと、遺構なのか、ただの自然地形なのか分からなかったです。なので、「大丈夫。数年後には、わかるようになるから、攻城団の城メモや攻城メモを参考に写真残しとこ」ですね。
以前、投稿した「親子で〜」と一緒になってしまうかもしれないですが、幅広い世代で、ちょっとした団体での訪問ととらえて、記載します。
今回は、小田原城をオススメします。
理由は、「親子で〜」と同じようになってしまいますが、
・小さい子供からご年配の方まで楽しめるようなイベントや展示がある。
・城内、館内の移動がしやすい。
・歴史的価値があり、有名な城郭であり、かつ、天守閣(御殿)がある。
・公共交通機関でも訪問しやすいし、比較的に大きな街で、食事や宿泊もしやすい町にある。
・足を伸ばしたら、鎌倉や箱根といった観光地にもアクセスしやすい。
同様な理由で、大阪城、名古屋城もオススメできると思います。
現存天守で、私が攻城済は、5城です。西日本の城址が残っています。全部好きなんですが、一番再攻城したいのは、今は、弘前城です。日没直前に攻城したため、あまりゆっくり攻城できなかったのと、写真でみた花筏や紅葉もみたいし、本来の石垣に乗った天守もみたいしといろいろ再攻城したいと思っています。
最も親しみがあるのは、姫路城です。以前、姫路駅前に住んでいたことがあり、ほぼ毎日天守のお姿を見ていましてし、四季の様々なお姿も見ていたお城です。当時は、今ほどお城に興味を持っていなかったので、非常にもったいない想いを今は持っています…。
水堀越しの松本城、小高い丘の上の犬山城、玄宮園からの彦根城、どれも好きです。
未攻城で行ってみたいお城は…全部です。
マイルール…そんな大仰なものではないですが、心がけていることや活用方法を記載いたします。
まず、私は公共交通機関を利用して攻城していますので、最寄り駅からのルートや最寄りバス停や駅からの徒歩でかかる時間を記載することを心がけてます。アクセスに記載されていますが、歩幅や年齢等でブレはあると思いますので、一攻城者の体験として、記載するようにしています。また、レンタサイクルを借りた場合は、自転車でかかる時間を記載するようにしています。バスなどの少ないところの山城なんかだと、レンタサイクルが借りられると便利なので、心がけてます。
遠征をする際には、遠征する直前に、攻城を予定している城あとを行きたいお城に登録しています。以前から登録しているところも一度登録を解除して、すぐに登録しています。これをすると遠征で攻城を予定しているところが、行きたいお城登録の一番上にくるので、事前の予習がしやすいです。
このお題が出ると、年の瀬を実感しますね。
私のこれからの目標は、プロフィールにも記載してますが、来年に完了しそうなものは、一つもないので、来年も少しずつ進めていきたいと思っています。特に、北海道、東北の城跡は、関東にいる間に進めたいと思っていて、北東北・北海道は、大人の休日倶楽部パスを利用して行っているので、来年は、夏に青森県下北エリアを、冬に秋田、岩手の内陸部か青森県津軽エリアを攻城したいと考えています。
また、攻城団の攻城記録が、新規で12月末で470城になりそうなので、来年には、500城になるようにしたいです。
また、バッヂは、意外にも、リーチになっているものが17個もありました。ほとんどが西日本の城あとを残しているものばかりのため、来年完了しそうなのは、近畿の城あとが残っているものと北東北の城あとが残っているものとで、出来て3つくらいかと思います。
私の中でも、どうしても信長が天下統一に進み始めた以降の出来事が上位を占めてしまいます。また、私の中では、学術的には異なると思いますが、秀吉の天下統一以降は、戦国時代として認識せず、家康による江戸幕府の成立までは、安土桃山時代と認識しております。
一番は、やはり、「本能寺の変」です。戦国を象徴する言葉として、下剋上がありますが、天下統一に進んでいる織田信長もある意味下剋上に巻き込まれてしまうという戦国を象徴する出来事だと思います。
2点目は、「長篠の戦い」です。信長によるそれまでの戦いとは異なる鉄砲を使った戦術が、戦国、日本のこれまでの戦い方から大きく変えた戦いなので、挙げさせていただきました。
3点目は、「将軍足利義輝の暗殺」を挙げさせていただきます。将軍が家臣にあたる三好三人衆に暗殺されるという室町幕府の有名無実化、下剋上を象徴する出来事だと思います。
私が、初めて攻城した城あとは…、覚えてないです…(笑)。昔のアルバムの写真を見ると、真新しい大多喜城の写真がありました。私が5歳くらいに、今の復興天守閣が建てられているので、その時の写真ではあると思いますが、私が写っている写真がなく、私が行ったのか不明なんですよね…。行っていれば、私の初攻城は、大多喜城ってことになるかと思います。
きちんと覚えている攻城は、当時は、“千葉城“と呼んでいた猪鼻城です。当時は、花見の名所だったこととかも知らなかったですし、模擬天守が築城当時に近い姿だと思っていたくらいの無知な状態でした。千葉氏の正統が千葉県の多古の地域で絶えていたことなど知る由もなく、今、数回にわたり、多古町に行くようになったのはなんだか不思議な感じです。
ちなみに、攻城団入団後の初攻城は、犬山城攻城でした。
以前の別の投稿でも書きましたが、100名城のコンプリートを公共交通機関で達成を目指している私の場合、残された時間を考えると、再訪はなるべくしないようにしているものの、やっぱり、何回も再訪している城郭はあります。
理由は、①近くの城を攻城した際に併せて攻城②職場や居住地に近い③やはり、大好きな城だから、が理由だと思います。
①は、小田原城ですね。神奈川の城あとを攻城するとよく併せて攻城します。②は、江戸城や姫路城です。江戸城は、今の職場に近いこともあり、最近は、門、見附巡りをしたことも再訪が多い理由です。姫路城は、かつての職場近くに住んでいた時によく訪問していた城郭です。四季の姿を知る数少ない城址です。③は、会津若松城が最も当たる城址です。他サイトのイベントに参加するためにという理由もあるのですが、赤瓦の復興天守が四季の様々な景色にもマッチして、いつ見ても大好きな城址です。
あまり、祭りに詳しくないのですし、いわゆる人混みの中にいると疲れることから、積極的にはお祭りにはでかけないのですが、見てみたい気持ちはあります。
最初に、相馬小高城あと、城下町で催される相馬野馬追です。今年の相馬野馬追の時に、近隣の城郭を攻城していて、夜、宿泊したホテルで地域のニュースでも頻繁に取り上げられていました。土日だけだと思って、翌月曜日の午後に小高城を攻城してみたら、実は、月曜日の午前中まで、開催していたらしく、もったいないことしたと少し後悔しました。ニュースで見て、いつかは見たいと思っていましたので、ここに挙げさせていただきました。今年の猛暑を考慮し、来年は5月の開催に変更するようです。
他には、ベタではありますが、青森のねぶたまつり、京都の祇園祭り、鎌倉の流鏑馬神事、今回開催で物議を醸しましたが、阿波おどりとかは、見てみたいと思っています。
一回の遠征で予定を詰め込んでしまう傾向にある私の場合、お堀巡りの遊覧船は乗ったことがなく、皆様の投稿が楽しみです。城巡りがある程度目処がついたら、ゆったり遊覧船に乗ってみたいな、と思います。…いつになるやら…
最初は、江戸城の外堀を中心としたツアー、屋形船です。広範囲で見附、門を築いているので、堀から見られる石垣はなかなか楽しめるのではないかと思います。
二番目には、東の江戸城ときたら、西は大阪城です。あの高石垣を船からみるのは、なかなか壮観じゃないかとおもいます。
三番目は、姫路城の観光和船です。実際に姫路藩で使用されていた高瀬舟を復元した船で、世界遺産の姫路城の内堀を巡ってみてはいかがでしょうか?
番外として、八幡山城の城下町にある八幡堀の遊覧船を挙げます。実は、真っ先に頭に浮かんだんですが、明確に言うと八幡山城の堀ではないので、選外にしました。
もうすぐ夏休みだからのお題でしょうか?近年は、大きな城址では様々なイベントが開催されていますから、楽しい時間が過ごせるかと思います。
一つ目は、姫路城です。選んだ理由は、いつもあげる理由と少し異なり、動物園が併設されているからです。ただ、園内にある水堀あとや石垣、動物園に入らないと撮影できない構図での写真を撮れるなど、動物以外の楽しみも味わえます。
2つ目は、最近よく挙げる小牧山城のれきしるこまきや清洲城、尼崎城、大阪城です。こちらは、小学生でもわかりやすい展示や映像を駆使しているので、城や歴史に興味を持ち始めたお子さんや自由研究の題材になっていいと思います。
3つ目は、やはり、天守閣のあるお城がいいと思います。お子さんの年齢によっては、現存天守とかは、上の階への移動が難しいかもしれないので、小田原城などの階段やエレベーターのある復興天守閣の方がいいかもしれません。
まずは、「家康に過ぎたるもの〜」と言われた本多忠勝公です。晩年は、私の地元に近い、上総の大多喜城の城主にもなっていて、勝手に親近感を持っています。数多くの武功があり、最大の功労者の一人ではないかと思います。演じている年代もあろうかと思いますが、私の勝手なイメージは、真田丸で演じていた藤岡弘、さんです。
もう一人は、井伊直政公です。本多忠勝公は、古くからの家臣で絆のようなものが家康とあったであろうと思いますが、直政公、能力を買われて、戦功を上げ、登り詰めたイメージです。部下に厳しく接していたと言われていて、家臣から恐れられていたと言われているようです。
もう一人は、今回は、本多正純公です。三河一向一揆の際には一度は離反していますが、その後、知力で家康を支えたイメージです。
資料館や博物館には、名城スタンプや御城印の販売、コラボチラシなどで、立ち寄る機会が格段に増えました。また、復興天守閣は、資料館になっていることも多くて、けっこう楽しめますね。前回のお題の時も挙げましたが、小牧山城のれきしるこまちや清洲城、尼崎城などは、映像やゲームも取り入れたりして、小学生にもわかりやすい展示で楽しめますね。
歴史資料館の展示で人物のイメージを変わったのは、相良城近くの牧之原市史料館です。田沼意次に関する展示が中心で、田沼意次については、それまで、賄賂政治を行っていたイメージが強かったのですが、貨幣経済の方向に導いて一定の成果は上げていた方で、現在では、評価も改まってきているようです。そういう意味では、オススメの博物館の一つです。ちなみに、入館証代わりに、御城印がいただけます。
月一度の遠征の日に雨に降られたりすると、テンション下がりますよね〜。諦めきれない気持ちが強いですが、the山城な場所だと、足を取られたりして危険なので、麓まで行って、諦めるしかないです…。
雨の時に楽しめる城あとは、やはり、天守閣のある平城や平山城かな、と思います。
愛知県の清須城、小牧山城のれきしるこまちや兵庫県の尼崎城は、小学生にもわかりやすい展示やゲームを取り入れていて、わかりやすく、楽しめました。また、千葉県の猪鼻城も展示物も多く、こちらも楽しめます。
また、兵庫県の姫路城や福島県の会津若松城、北海道の五稜郭、岡山県の津山城など、城あと以外に、花やタワーからの展望などが楽しめる城あとは、雨が逆に風情を生んだりして、楽しめると思います。
城あとの活用方法として、公園の次くらいの活用方法が学校としての活用方法かと思います。
あんまり学校として活用している城址が思いつかなかったので、今回のお題、パスしようかとも思ったのですが、2つほど思い出しました。
一つは、続100名城にも選定されている龍岡城です。現在は田口小学校となっていて、校庭内に御台所櫓が遺されています。他サイトから得た情報ですが、田口小学校は、2022年度末で閉校するらしく、小学校跡地を龍岡五稜郭築城時に近い状態に復元する計画があるようです。
もう一つは、新潟県の福島城です。遺構としては、石垣の一部が遺されているだけです。跡地は、福島小学校となっています。
福島小学校では、校門で閉まっていることはなく、説明板、残存石垣、その上にある城址碑も見学しやすい位置に配置してくれています。
四度の城、すごくいい造語ですね。
四季それぞれを味わえるのは、やはり美しい天守閣を持っているところかな、とおもいますので、姫路城、松本城など現存天守閣を中心に、それぞれ天守閣を持つ城あとはやはり外せないかな、と思います。
また、春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色が映える城あとが四度の城と呼ばれるにふさわしいかな、と私は思いますので、桜の名所の城あとは四度の城になり得るかな、と思っています。
以上の観点から、姫路城、松本城、会津若松城を挙げさせていただきます。姫路城は、雪があまり降らない地域ではありますが…。会津若松城は、赤瓦に各季節の花や草木ともマッチして、四度の城にふさわしいかな、と思っています。
天守閣のない城郭ですが、北海道の五稜郭も、五稜郭タワーからみた城郭が、桜、雪景色、新緑と景色が素晴らしく、四度の城として、挙げさせていただきます。
離島の城について、海城としての利用がなかったりすると、“なぜ、こんなところに…”とは思ってしまいます。離島にはなかなか攻城できていないので、たとえば、愛知県の篠島城とか滋賀県の琵琶湖の坊谷沖島城とかは、能島城のように水軍の拠点に利用された歴史がみられなかったので、なぜ?とは思ってしまいました。篠島城は、徳川家康が伊賀越えをした際に、宿泊した場所だって話もあったりするので、周囲の守りを固める意味では有用なんでしょうか?
あまりに高い場所にある城も、守りにはいいのかもしれないですが、攻めるには不向きすぎるようにも感じますが、それは素人考えでしょうか?昔の方は、現代人より体格は小さいとされていますが、体力はすごいなと感心してしまいます。
本お題、すっかり回答していませんでした。
ちょくちょく開くのは、100名城、続100名城のバッジです。一応、コンプリートを目指しているので、新しい地域に行く時は、真っ先に、攻城対象とするので、都道府県別から検索するより簡単に検索できるので、よく開いています。
好きなバッジとしては、私も天空の城のバッジが好きです。あまり対象の城郭を攻城出来ていず、行った城址で、雲海に遭遇したことはありませんので、憧れの風景になります。
思い入れのあるバッジとしては、初めて、都道府県別以外でクリアした徳川御三家のバッジ、三城以上の登録のバッジとしては、初クリアの出世城バッジ、名前の響きが好きな関東七名城のバッジです。
姫路城の白鷺城、岡山城の烏城などは、天守閣を表現する最高の別名かな、と思います。真っ先に思い浮かびました。
実は、別名に詳しくないので、今回のお題はパスしようかと思いましたが、印象に残っている別名が一つありましたので、ここに記載します。
静岡県の田中城の別名が亀甲城、亀井城、別サイトには、おもいっきり亀城と書かれていました。全国的にも珍しい同心円の縄張りで、亀の甲羅を表した別名だそうです。現地には三日月堀や土塁が各所に遺されていて、本丸櫓が移築されているなど、街歩きも楽しかったです。天守閣を表した別名はよく見かけますが、私は、縄張りの形を表現した別名は聞いたことがなかったので、選ばせていただきました。
すっかり出遅れました…。おかげで、皆様のオススメを見られて、楽しかったです。
攻城団の皆様は、歴史小説を読んでいる方が多いのかな、と思っていましたが、転生物のSF物やファンタジー物を上げている方が意外と多いのは意外でした。かくいう私も、転生物は大好きで、梶川卓郎さんの漫画「信長のシェフ」や村上もとかさんの漫画「仁」などは好きです。また、半村良さんの小説「戦国自衛隊」も好きです。どの作品も現代の知識や知見を使うのですが、歴史的背景や史実をうまく絡ませて、物語が進むので、面白かったです。また、どの作品もその時代に介入することで、歴史を変えてしまうかもしれない苦悩や戸惑いが描かれていたので、一気に読み進めてしまいました。
歴史小説としては、和田竜さんの「のぼうの城」、新田次郎さんの「武田信玄」、司馬遼太郎さんの作品が好きです。
今回のお題は、古戦場へは、あまりいけていないので、かなりベタな回答になってしまうかと思います。
一つ目は、川中島古戦場です。現地には、松代城に行く前に立ち寄りました。バス停が目の前にあり、本数もわりとあるので、アクセスしやすい古戦場です。今は、レストランなどがあって、川中島八幡神社もあり、観光地化されていますが、川中島八幡神社にある信玄公と謙信公の一騎打ちの銅像は迫力があり、印象に残っています。
2つ目は、里見と北条の三船山古戦場です。わが故郷の里見氏が北条の南下を阻止した戦いで、久留里城のそばに古戦場はあります。領土や戦力に劣る里見氏が強大な北条を撃退した戦いは、地元民としては誇らしく、北条氏に敗れた有名な国府台合戦を差し置いて、こちらを挙げさせていただきます。
これから、桶狭間、姉川、設楽原、三方ヶ原については、ぜひ立ち寄ってみたいと思っております。
ちょっと変わったお題ですね。
気になる名前としては、岩手県の人首城って名前の城あとが気になりました。わりと近くには、毒沢城とか火渡館とか気になる名前の城あとが多い地域になります。どんなおどろおどろしい伝説や逸話があるのかな、と思っていたら、すべて、単純に築城主や支配領主の方のお名前みたいでした。毒沢城の近くには、清水の出てる場所があるみたいで、実際飲めるものか不明みたいですが、ネーミングからしたら、ちょっと気が引けてしまいそうです。
難読な城名の城あとがありますが、物集女城や頴娃城とか読めませんでした。どちらもやはり、武将や支配領主の名前の城みたいです。
あくまで、私の勝手なイメージですが、いろんなドラマなどの影響なんだと思いますが、武将のイメージより、政治的な能力の高いイメージです。最近、総理大臣だったら、みたいな本が出たりして、そのイメージはより強くなっています。実際、当時としても、世界最大の都市を作り、現在にも続く江戸=東京を作り上げた手腕は素晴らしいな、と思います。
その政治的手腕を支えたのは、人心掌握術や人を見る能力の高さでもあり、三河武士の忠誠心の高さなどにも現れていると思いますし、旧武田家臣団を多く取り立てたという逸話にも表れていると思います。
政治的手腕の高さには、罠に嵌めて追い落としたりのような意味での“政治的な”部分もたかく、いわゆる狸親父のような一面での能力の高さでもあり、私は、その点、あまり好きにはなれません。
最強の定義については、学術的なところはわからないですが、感覚的には、こんな感じかな、と思います。
①土塁や石垣などが絶妙に配置されたり、断崖絶壁や河川に囲まれた難攻不落の城。
②一度も戦いにより落城の経験がない城。
③観光地や歴史的価値の高い城。→NHKの最強の城スペシャルには、こちらの意味合いも入ってくるかな、と思います。
これを踏まえて、以下に挙げさせていただきます。
上田城 ①②③
徳川の大軍を2度も退けているのはポイント高いです。
忍城 ①②③
石田三成の失策だったのですが、豊臣の水攻めにも耐え抜いています。
小田原城 ①②?③
あの総構は、かなり強力だと思います。
江戸城 ①②?③
各所に配置した見附や門が強力だと思います。
他に、高取城、安土城、大坂城、山中城などが①②③全てを満たさない城あともありますが、最強の部類に加えていいかと思います。
東京の場合、江戸城はマストだと思います。
歴史的価値感、石垣のバリエーション、最寄り駅からのアクセス、規模など、文句なしだと思います。
次は、八王子城です。一部現存もある石垣がある御殿あとは必見だと思います。ただ、詰めの城となる部分は、かなり大変な登山でしたので、その点は、初心者向けかと言うと、賛否あるかもしれませんが…。東京都内の城あとですが、それなりの準備は必要だと思います。
最後は、滝山城です。土塁、空堀、曲輪跡がきれいに遺されている城跡で、桜の季節もきれいで見応えがあります。
23区内は、城跡が石碑だけあったり、神社仏閣になったりが多く、城址公園として遺されているところは少ないですが、そういう意味では、次点として、世田谷城もオススメかもしれません。
チラ見えってポイントはあまり知らないのですが、公共交通機関で攻城していると、電車やバスで攻城する城が見えてくると、ちょっと興奮しますよね。今回は、電車から見えるを主眼にして選定してみました。
初めて、東北の地に攻城遠征した時、東北本線の白河駅から見えた白河小峰城は、興奮しました。チラ見えという感じではないですが、早く行きたくなります。ちなみに、白河駅は、白河小峰城側に出口がないため、少し焦らされた気分になります(笑)
まだ、私は未攻城ではございますが、新幹線から目の前にみえる福山城も壮観です。今は、改修中ですので、改修が終わったら、ぜひ攻城したいと思っています。
以前、新幹線からチラ見えで、名古屋城、小田原城、掛川城が見えたのですが、今も見えるか確認取れていないので、今回は選定から外しました。
公共交通機関を使って攻城している私の場合、残りの時間を考えると、100名城の達成を目指すならば、効率よく、再攻城は、なるべくしないようにしています。特に、公共交通機関の不便な地域の場合は、一回でなるべく済ましたいと考えています。
とはいえ、下記の場合は、再攻城を考えます。
①攻城後に、御城印が販売された場合
コンプリートは、ほぼ諦めてはいるものの、近くに寄ったり、好きな城の場合は、再攻城も検討します。
②攻城時に撮影した写真がトラブルで消失した場合
私の場合、高取城、小谷城や再攻城済ですが、杉山城がこのパターンに当たります。
③攻城時に日没や天候により消化不良だった場合
私の場合は、弘前城や岩殿城、再攻城済ですが、岩村城がこのパターンになります。
④それでもやっぱりもう一回みたい場合
高取城、弘前城、姫路城、松本城なんかは、この場合に当たります。、
団員名については、単純に、本名の一部に使われている漢字の訓読みで、高校や小学校の頃のあだ名でもあります。いろんなサイトに登録する時に最も、というかほとんどに使っています。
アイコンについては、好きな武将の楠木正成公像で、躍動感のある皇居のところにある銅像を載せてます。楠木正成公については、戦前のころの皇国史観の代表的な方、忠臣のイメージが高いし、悪党と呼ばれる集団のイメージから、無骨で粗野なイメージを持たれていますが、最近の研究では、経済や政治に対しても有能な一面もあったようです。また、後醍醐天皇に対しても新田義貞に対しても、強く意見を言っていたりの一面もあるし、敵対していた足利尊氏のこともかなり評価していたようで、むしろ、共に行動していた新田義貞より評価は高かったようです。そうした逸話なども踏まえて、好きな武将です。
名前の由来より長く書いてしまい、すいません。
今年は、紅葉も堪能出来ていなかったし、例年もあまり、紅葉スポットとなる城あとにその時期には行けてないので、オススメできるところは少ないです。
まずは、唐沢山城です。
麓からの登城中も紅葉が堪能でき、城址全体で堪能できます。猫と紅葉が堪能できる城址です。
2つ目には、百済寺城です。実は行ったことのない行ってみたい城跡です。攻城団に掲載されてる写真を見てると、行きたくなります。
桜の名所は、紅葉の名所になるってところもあるのですが、そういう意味では、高遠城にも、紅葉の季節に行ってみたいですね。実際、紅葉の名所でもあるようですので。
山城に行く時には、以下の3点をわかる限り調べて、攻城しています。
①立入禁止や私有地じゃないか
②比高や整備状況
③獣類の出没情報
①私有地でもきれいに整備して歓迎してくれるところもあるし、自然災害などの被害状況も可能な限り確認します。城址が無事でも周囲が大きな被害が出ている時は、遠慮します。
②そこまで本格的な登山の装備や体験を持っていないので、あまり比高があったり、整備がされていない場所へはなるべく行かないようにしていますし、ルートは事前に確認しています。
③一人で攻城しているので、万が一被害にあったら、対処できないし、苦手なので、熊、蛇、山ヒルの出没情報は一番に事前に調べています。薮にはなるべく突入しないようにしています。
基本的に、夏、秋は、平城、平山城を中心に攻城し、冬から春先は、獣類があまり出没しない、かつ、薮化があまりしていない山城を中心に攻城するようにしています。
お城巡りを始める前から神社仏閣には興味があって、有名なところには、必ず立ち寄っていましたが、ご朱印はいただいていず、観光地として、キーホルダーとかを集めていました。
城巡りをするようになり、御城印を集めるようになると、やっぱり、ご朱印も集めたくなり、今では、再訪も含めて、ご朱印集めにも精を出すようになっています。やはり、城主や一族の菩提寺なんて聞くと、行きたくなり、そこのご朱印は欲しくなりますね。
また、神社やお寺を見る際に曼荼羅とかの仏教絵画とか精巧な彫刻とかを見るようになりました。仏像とかにも興味を持つようになり、大仏や観音様とかは、近くを通る時は、必ず立ち寄るようになりました。
封建体制のなか、忠臣と呼べる方は多く、少々悩みました。また、後世の創作なども含まれたりするので、真偽不明な点もあるのかもしれません。
1人目は、石田三成公です。諸説あるのかもしれませんが、徳川家康へ天下の情勢が流れる中で、豊臣氏の体制を維持しようとしていた心意気は、やはり、忠臣の一人じゃないかと思います。
2人目は、鳥居元忠公です。関ヶ原の前の戦いでの元忠公の壮烈な戦死が後の江戸時代に、鳥居家のお家騒動の際に、鳥居家のお取り潰しを免れた一要因になっていて、後々まで残る忠臣ぶりだと思います。
3人目は、片倉景綱公です。以前の投稿の際にも書いたことがありますが、豊臣秀吉から三春五万石の直臣としての誘いを政宗公への忠義から断った話しや人取橋の戦いでの逸話など忠臣としての逸話は枚挙に暇がありません。
その他にも、真田信繁公や直江兼続公なども忠臣だと思います。
このお題、なかなかの難問だと思います。100名城に関わる3城が候補である一方で、茨城県には、小幡城、小田城、逆井城、真壁城など、公共交通機関で行くのが困難ではあるものの、土の城の傑作がたくさんあります。こうした城だけの特別選考したいくらいです。
一つ目は、水戸城です。歴史的背景、薬医門などの現存状況、大手門などの復元など、これからも楽しめる城あとだと思います。
2つ目は、土浦城を選びます。現在、市民公園として整備されていますが、東櫓や太鼓櫓門が現存し、市民からの熱烈な要望で西櫓が復元されています。
3つ目は、東日本では珍しい石垣遺構の遺されている笠間城と迷いましたが、小幡城を選びます。交通アクセスの悪さなどはありますが、団員評価の高さも納得の土塁、空堀は、一見の価値があると思います。
戦国期から外れてしまいますが、いわゆる幕府関連以外で、征夷大将軍といえば、やはり、坂上田村麻呂ですね。
本来の意味での征夷大将軍でしたし、私にとっては、征夷大将軍といえば、この方ですね。
この方も戦国期を外してしまいますが、次は、源頼朝です。武士としては、初の征夷大将軍ですが、正直、好き嫌いで言うと嫌いな部類です。政権を得るまでに支えていた弟、義経、範頼に対する仕打ちは、諸説あるのかもしれませんが、好きにはなれないですし、求心力はあったのかもしれませんが、家臣に対しての対応も、贔屓があったり、貶めたりした面が見えるのも、好きになれない理由です。源氏の正統が三代で絶えてしまったのも、この辺が影響していると思います。
最後も戦国期を外してしまいますが、足利義満です。泰平の世を作り出した徳川幕府もそうですが、それ以前に最も安定した世の中を作り出したのは、この方だと思います。
すっかり、締切後ですが、本城(自宅)を大阪に持つ身としては、やはり、コメントしておきたく…。
1つ目は、文句なく大坂城ですね。関東出身の私でも、やはり、豊臣大坂城を選びたいです。規模、歴史的背景など、全て文句無しです。
2つ目の岸和田城も水堀越しにみる模擬天守や庭園の美しさで、文句無しです。
3つ目が迷いどころで、私は、選ばれた飯盛城が未攻城であるし、他の候補だと、遺構はあまり遺されていませんが、歴史的背景の高さで、千早城、竪堀や大手石垣がよかった芥川山城、最近畝堀が見つかった高槻城など、気になる城も多いです。なので、飯盛山城の攻城まで、3つ目は、未選定とします。
基本的に公共交通機関で攻城している私は、離島や自動車じゃないと厳しいところはなかなか攻城できないですね。それと、獣害や熱中症、積雪などを気にしないといけない山城は、攻城するタイミングはどうしても限定されてしまいます。関東、関西が拠点になる私には、北海道や九州、北東北はなかなか攻城が難しいですね…。
以上の観点から選ぶと以下になります。
①離島のため、公共交通機関での攻城が難しい
対馬にある金田城です。朝鮮半島との最前線にもなっていたし、一度は行ってみたいです。
②雪国の山城でなかなか攻城のタイミングが難しい。
新潟県の鮫ヶ尾城です。御館の乱の舞台で、一度攻城しようとして、近隣のホテルを予約しましたが、コロナ禍と積雪で取り止めてます。
③立地の関係で攻城が難しい。
北海道の根室チャシ群です。普通に旅行するにも難しい場所ですが、やはり一度見てみたいです。
徳川家康と信康、武田信玄と義信など、最強親子になる要素がありながら、残念ながら、陰謀などにより横死しているケースや長宗我部元親と信親、毛利元就と隆元のように若くして息子が戦死や病死して最強親子になれなかったケースが私は、もし、生きていたら…と考えたりします。
最初に、立花道雪と宗茂親子を最初に挙げます。
宗茂の実父の高橋紹運との組み合わせでも可だと思います。宗茂の才能を見抜いて、道雪が養子に迎えるまでの経緯も興味深いです。
次に、真田昌幸と信繁親子を挙げます。信幸との組み合わせもありだと思いますが、やはり、信繁の大阪の陣での活躍でこの組み合わせかな、と思います。
最後は、毛利元就と小早川隆景、吉川元春かな、と思います。一人で高い能力の子供たちが、隆元も含め、三人揃っていて、また、有名な三本の矢の話もあって、やはり最強親子かな、と思います。
好きな城門ですが、私は、やはり、飾りがあったりする門が好きかな、と思います。実用的ではないのかもしれないのですが、やはり、目がいってしまいます。
そういう意味では、やはり、二条城の唐門は好きですね。
二条城は、唐門だけで、30分使ってしまいます。
また、同じような観点で、琵琶湖の竹生島にある大阪城からの移築の極楽橋の唐門が好きです。二年前に、竹生島に行ったときは、改修の真っ最中で、きちんと見れませんでしたので、また、いつか行ってみたいと思っています。
この質問、面白いですね。
そういえば、武士で選ばれた方って、いないですよね。
特に、戦国期は皆無です。なぜだかはわからないですが、戦国期は、日本国としては、政治的・経済的にはあまり発展していなかったりしていたからかなぁ、と思ったりします。もし、戦国武将から選ぶとしたら、やはり、三英傑なのかな、と思います。信長の楽市楽座、関所の撤廃などの政策、近江商人の礎を作ったところ、秀吉は、大坂発展の礎を作り、農民から天下人になり、一代で財をなした点、家康は、その後300年続く泰平の世を作った点で、経済的な貢献度は高いと思います。こういう質問があると、私は、ベタな回答を選ばないことが多いのですが、こればかりは仕方ないのかな、と思います。券種は、難しいところですが、一万円は、家康公かな、と思います。
次点としては、領国経営の巧みさで、武田信玄、上杉謙信でしょうか。
仕事をリタイアした時に、今まで集めた攻城した先のパンフレットや立ち寄った観光施設のパンフレットなどをまとめて、写真と一緒にまとめたいと思っていたので、ステイホーム期間中は、それを10年か20年先取りでしていました。お城エキスポでもらってきたパンフレットとかも3年分あったので、重複したりしたのを整理したり…。作業中、また、パンフレットを見直したりしてしまって、あまり進みは良くないのですが…。
また、これから攻城遠征計画を乗り換えアプリを使って、タイムスケジュールを立てたりしています。その際に、攻城団の御城印一覧や皆様の攻城メモ、城メモは、すごく参考にしています。
50代のおじさんのオススメで、恐縮ですが…。
やはり、現存天守閣があって、城そのものが美しい姫路城、松本城が一番のオススメかと思います。街ごと楽しめますし、天守閣それだけで、楽しめるかな、と思います。
次に、天守閣はないですが、山中城なんかは、障子堀がワッフルみたいな感じで、かわいらしい感じですし、ある意味、映えスポットかもしれません。説明板も充実してますし、天気が良ければ、富士山も見えます。近くに三島スカイウォークもあるし、バスの乗り方次第で、箱根にも出れます。
最後に、富山城をオススメします。庭園越しや水堀越しの模擬天守は、けっこう見所だと思います。名産やグルメなんかもたくさんあるので、城以外の観光も楽しいと思います。添付した画像のようなビューポイントを設置したりもしています。
戦国期には、たくさんの名軍師がいて、迷いますが、私が最初に思い浮かべたのは、活躍の時期は短いもののその名をしっかり残している竹中半兵衛です。逸話の多くが三國志などになぞらえてるものが多く、後世の創作と言われてしまってる一面もありますが、間違いなく、秀吉公の前半を支えた方だと思います。
2人目は、山本官兵衛です。武田信玄の躍進を支えたのは、この方だと思います。川中島で無念の死を迎えてしまいましたが、もし、もう少し長生きしていたら、その後の武田の命運はどうなっていたのかな、とも思います。
3人目は、あまり知られていないですが、白井入道浄三です。この方は、下総国の臼井城にて、関東進出を目論む上杉謙信の攻城に対して、知略と占術を駆使して、撃退した功労者です。軍神上杉謙信にとって、最大の敗北と言われていて、上杉謙信の関東進出の野望が事実上潰えてしまった戦いでもあります。
他にも、名軍師と言われている方がいますが、家老であったり、大名や武将として有名な方がほとんどでしたので、この三名の方を選んでみました。
攻城当時、体重が一番重かったってのもあると思いますが、三大山城の一つ、奈良県の高取城が一番きつかったです。麓からすべて徒歩で登りましたが、息も絶え絶えしながらの攻城で、当時から四年経過してますが、いまだに、あれ以上にきつい経験はないです。ただ、そんな山中にあった高石垣をみた感動を越える体験も、いまだにないです。
同様のきつさで言うと、大阪の千早城もきつかったです。高さ的には、高取城よりも低いですし、階段状の参道も整備されていますが、角度としてのきつさは、今までで一番でした。鎌倉幕府軍が苦戦したのも納得です。あの角度で上から岩やら木材やらが降ってきたら、ひとたまりもなかったんじゃないかと思います。
最後に、きつさの内容が少し違いますが、福島県の小手森城をあげます。登城口に鳥居があり、本丸あとに愛宕神社があるのですが、鳥居から先は、参道というよりは山道で、そこを越えると150段くらいの石段を登ります。時間は、15分くらいなのですが、心細さが増すような感じがたまらないのと、疲れて休むと、ものすごい数の蚊の襲来にあい、耳の中にまで入ってきたりして、うんざりしました。伊達政宗の小手森の撫で斬りで有名な城なので、攻城したかった城あとではあるものの、登城する前には、覚悟が必要な城あとだと思います。
2020年現在は、大河ドラマの真っ最中なので、なんとなく、明智方にいきそうな感じです。黒幕説とかそういう事情や情報を持っていなかったとして、当時の空気感は、どういう感じだったのかな、と思います。織田信長公の楽市楽座や関所の撤廃といった施策やしがらみや家柄に左右されず、能力主義なところは、時に厳しく家臣に求めたりして、恐れられたり、旧態依然の体制側からも敵視されていただろうけど、家臣や民衆には支持されていただろうと思います。そうなると、信長に能力を認められ、取り立ててくれたそんな信長公を討った光秀公を支持せず、羽柴方に参陣していたかもしれないです。
ただ、現代にいて、羽柴秀吉黒幕説なんてのが出て、それが本当にそうだとしたら、そういう謀略を使い、騙し討ちにした秀吉は許せないので、光秀方に参陣するかもしれないと思います。
いろいろ楽しく読ませていただいているので、これっといったものはあげられませんが、武将の話題なんかは、好きです。最近だと明智光秀関連のものや本能寺の変関連だと思わず読んでしまいます。また、御城印の一覧を都度更新していただいていますが、こちらは、お気に入り登録して、遠征計画を練ったりする時には、開いてルート決定の参考にしています。
戦国時代の好きな女性…ちょっと迷ってしまいました。平安時代末期の源平合戦の時の源義経公の妾だった静御前や木曽義仲の妻や妾とも呼ばれてもいる巴御前なんかが好きな歴史上の女性ですが、戦国期となると…。
浅井長政、柴田勝家に嫁いだ織田信長の妹のお市の方ですかねぇ…。戦国一の美女と言われた話もさることながら、信長公に、男に生まれたなら、武将としても一流だったと言わしめた才覚もまた、好きな要素の1つです。創作の話もありますが、金ヶ崎の戦いの際の小豆の話なんかもいいな、と思います。
また、常に厳しい状況に置かれながらも、織田家や浅井家を絶やさないよう、心を尽くした生き方もまた、好きな要素の1つです。
私が真っ先に思いついたのが、斎藤道三、北条早雲、松永久秀でした。この中で、松永久秀は、信長に対する二度に渡る裏切り、将軍の暗殺、主君の子供たちの暗殺など、伝えられている内容だけなら、一番の梟雄かな、と思います…。ただ、実際には、根拠となる資料はあまりないらしく、実際にはどうなんだか、ということらしいですが。三大梟雄の一人、宇喜多直家公も権謀術数の限りを尽くして、気に入らない武将と姻戚関係を結んで油断させ、様々な謀略を尽くして、毒殺したり、追い込んだりしたとのことで、弟の忠家なんかは、直家に会うときには、鎖帷子を着て会っていた、という話もある方だそうです。ただ、松永久秀は、主君の三好長慶存命中に、裏切りなどの行為はなく、忠実に尽くしていたようですし、宇喜多直家も家臣は大切にしていて、自分の生活を質素にしてまで、家臣の俸録を捻出したって話もあるみたいで、梟雄と呼ばれた人たちも愛される一面があるからこそ、世に名を残しているんだな、と思ったりします。
単身赴任二年目だった2019年は、今まで訪問していなかった地域を攻城できた一年でした。2020年もまだ、単身赴任が続くようなら、今年攻城しようとして出来なかった北陸方面に攻城したいと思っています。春日山城や高田城、富山のお城にいってみたいと思っています。バッヂについては、攻略まであと数城のバッヂを攻略して、三つは獲得できたら、と思っています。
明智光秀公は、誰もが知っている方ではあっても、前半生がはっきりしてない、最後、なぜ、信長公を攻めたのか、など、謎の部分が多すぎる方でもあります。私は、光秀公は、自身が天下をとることは考えていず、滅私奉公に徹していた方だったのではないかな、と思っています。本能寺の変も誰かと手を組んだものだったと思います。たった七日とはいえ、天下に大号令を出すこともできたのではないか、もしくは、なにがしかの形で自分の正当性を主張する文書を遺していると思えるのですが、それをしていないのは、誰かと手を組んでいて、その方への配慮だったのかな、と思います。(遺していたものを手を組んだ方に消されてしまった可能性もありますが) ある意味、古くからの伝統を守り、良き補佐役、No.2の方だったのかな、と。悪くいうと、頑固で融通がきかない面があり、謀略や地ならしのようなやりとりはあまりできない方だったのかな、と思います。
都道府県バッジシリーズに初めて投稿します。今回のお題が実は一番難しいような気がします。"初心者でも楽しめそうな"なら、天守閣や御殿があるお城であるのだろうから、福知山城、伏見城(中には、はいれませんが)、二条城でしょうけど、"歴史的に重要でまた、有名な"のを初心者が楽しめるととらえるとなると、亀山城、勝竜寺城なんかも入ってくるし、"城"ととらえるの?って考えも出てくるけど、聚楽弟なんかも入ってくるし…。結果、一番分かりやすく、二条城と福知山城に、来年の大河を絡めて、勝竜寺城を私は、推薦します。
バッジに選ばれた三城とも100名城、続100名城に選ばれていて、遺構もしっかり遺された素晴らしい城あとで文句なしなのですが、地元の里見氏の居城が一つも選ばれていていないので、あえて、バッジの三城を外して選考します。
一つ目は、久留里城。里見氏の遺構のみならず、上総武田氏の時や近代の久留里藩時代の遺構も遺されていて、近くには古戦場もあります。二つ目は、館山城。どうしても、模擬天守閣に目がいきますが、土塁、堀切、水堀などもきっちり遺されています。3つ目は、悩みどころですが、前期里見氏の居城、稲村城か近代の台場あとなども遺されている里見水軍の基地でもあった造海城をおすすめいたします。里見氏関連の城あとは、昨年の台風被害で大ダメージを受けているところが多く、攻城は難しくなっていますが、機会がありましたら、ぜひ攻城してみたいと思います。
いろんなお城に行くと、"~を大河ドラマに"って、よく目にしますよね。我がふるさとの里見氏や北条氏康公も取り上げてほしいですけれど、私は、島津義弘公と長宗我部元親公、このお二方を取り上げてほしいです。私が調べた限りは、お二方とも幕末で地域的に取り上げてもらうためか、一度も大河ドラマ化されていません。島津義弘公は、九州制覇の過程とか朝鮮出兵、関ヶ原などの戦い、島津四兄弟や家臣との絆なんかを長宗我部元親公は、四国統一の過程、信親公を亡くしたりの家族とのことやはては、本能寺の黒幕説にまで踏み込んだりしてくれたら、と思います。
個人的な好みとしては、東軍の大将が好きではないので、西軍の方に参陣したいです。小学生くらいの時には、なんでか東軍=正義、西軍=悪のような意識があって、その時は、たぶん東軍って答えていたように思います。ただし、一族や家の長であるなら、真田氏や九鬼氏のように、親や兄弟を二つに分けて参戦してるかもしれないですね。あとを継ぐ方には、勝つ可能性で東軍に属してもらう方がいいと思います。
投稿を見ていたら、けっこう同じ方がいて、少し嬉しかったのですが、私も、攻城遠征する際は、安いビジネスホテルに泊まることが多く、いつもスケジュールを詰め込んでいるため、日帰り温泉に立ち寄ることも少ないです。温泉には、家族と旅行に行く際によく行きますが、あまり攻城はありません。
まずは、函館五稜郭を攻城した家族旅行で利用した湯の川温泉です。宿泊したホテルですが、高い位置にある温泉で、市内を一望でき、気持ちよかったです。函館空港、五稜郭にも近く、函館観光にも最適でした。
温泉地としては、有名すぎてベタではありますが、次は、小田原城のあとの箱根です。温泉街も雰囲気がよくて、温泉も気持ちよかったです。
城攻めでは行ってないのですが、七尾城から一時間のところにある和倉温泉も七尾湾を見ながらの露天風呂が最高でした。和倉温泉内にビジネスホテルがあるみたいなので、七尾城攻城時に利用してみようと思います。
どれかを決めるのは難しいのですが、大きくは、3つ。中井貴一さんが武田信玄を演じた風林火山(タイトル、間違っているかも)、渡辺謙さんが伊達政宗を演じた独眼竜政宗、それと真田丸。風林火山と独眼竜政宗は、大河を毎週見るようになったきっかけになった作品で、すごく印象に残っています。どれかを選ぶなら、それまでの信玄公のイメージとは違うのに、みごとに中井貴一さんが演じきった風林火山かなぁ、と。それ以前にも、良作はあると思いますが、リアルタイムでは見れていないので。
銅像を見るのは好きなので、見つけるとワクワクします。どちらかというと、騎馬像が好きですね。
初めに、私のアイコンになっている楠木正成公像です。皇居…江戸城にある楠木正成公像が有名ですが、千早赤阪村にある観心寺の門前にある楠木正成公騎馬像も千早城へ向かうバスの中から見て、ゆっくり見てみたいと思った銅像です。
次に、山形城にある最上義光公騎馬像です。躍動感のある騎馬像は、迫力があります。ブラタモリで、タモリさんが「方向が違う」と言ってましたが…(笑)
3つ目は、伊達政宗公の騎馬像です。
上野公園の西郷隆盛公銅像、渋谷のハチ公並みに、有名な銅像だと思います。
4つ目は、川中島古戦場にある武田信玄公、上杉謙信公の一騎打ち像です。ものすごく迫力のある銅像でした。
まだ、見れていないのですが、畠山重忠公史跡公園にある愛馬をかつぐ畠山重忠公銅像は見てみたいです。
一人でいきます。天守閣のない城跡って、なかなか理解されないし、山城だと、しんどいみたいなので…。
真田昌幸、信繁親子は好きな武将ではあり、仕えたい武将でありますので、理想の上司かもしれないのですが、今回は、3名挙げたいと思います。1人目は、豊臣秀長公です。ナンバー2ですが、豊臣政権が磐石になったのは、秀長公の貢献も高いと思っています。また、秀長公がいなかったら、晩年の秀吉のおかしな政権運営をもたせることができずに、もっと早く崩壊していたかもしれないと思います。もう一人は、片倉小十郎です。豊臣秀吉からの誘いを断った話は好きで、伊達政宗公を常に支えていた姿勢は、ついていきたい、支えたいと思う理想の上司像です。最後は、立花宗茂公です。有能であり、部下や領民にも慕われた武将であるけれども、関ヶ原の戦いで西軍についたために一度は改易の憂き目にあいながらも、最終的に、旧領に復帰するストーリーが好きで、もし仕えるなら、改易の期間も、旧領に復帰するまでも支えていきたいと思わせる方だと思います。2020年9月追記。興国寺城を攻城して、天野康景顕彰碑の説明板を読んで、天野康景公を追加したいと思います。説明板には『康景公の部下が領内の竹や木材を盗もうとしたものを切り捨てたら、その盗人は、天領の領民だったため、その天領の代官と争いとなり、幕府からは、部下の処罰を求められたが、拒絶し、最終的に康景公は出奔し、興国寺城は、廃城となった』と。逃げ出したのはいただけないのですが、部下を守るために、封建社会の上位組織と闘った姿は尊敬できます。
そんなに訪問した城下町が少ないので、他にも素敵な城下町はあると思います。
1つ目は、近江八幡です。豊臣秀次の居城の八幡山城の城下町で、八幡堀や近江商人などの洋館が印象的な城下町です。側近として秀次についた田中吉政公の能力の高さなのかもしれませんが、豊臣秀次公のイメージをいい方に一新した城下町でした。
2つ目は、会津若松です。幕末の城下町のイメージが色濃く残っているのは、白虎隊や日新館などのイメージが強いからと思いますし、戊辰戦争の想いが今でも強く意識しているから、と思います。
3つ目は、滋賀県の日野です。ここは、日野駅からかなり歩いた先にあって、いくつか周囲に城あともあり、訪問した当時はあまり日野商人の知識もなく、城下町としては意識していなかったのですが、蒲生氏郷公の銅像もあり、商人の館など、城下町として、色濃く残っていて、当時としては、意外な形で城下町を味わえた町でした。
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