別名 玉藻城
お知らせ 詳細
高松城は豊臣秀吉の四国征伐の後、生駒親正によって築かれた城です。現在見られる遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものです。近世城郭の海城としては最初にして最大の城で、その規模は「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謡われているほどで、日本三大水城の筆頭です。また、高松城の天守は小倉城や岩国城の天守のように「唐造り」でしたが、1884年(明治17年)に老朽化により解体されたため現存していません。現在は、三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存し、城跡は「玉藻公園」として整備されています。
高松城を訪問した3080人の報告によれば、平均見学時間は1時間5分、平均評価は3.58点となっています。
高松城は高松藩の藩庁です。
目次
高松城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
高松城に関するデータ 情報の追加や修正
2.4 m
内郭:-- ha 外郭:66 ha
4重4階、地下1階
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最初の生駒親正が築いたのは独立式層塔型3重3階の天守で、それを松平頼重が1670年(寛文10年)に大改修して4重5階の南蛮造りの層塔型天守をあげた。この天守は1884年(明治17年)年に老朽化で取り壊された。
生駒親正
着工 1590年(天正18年)
1869年(明治2年)
松平頼重、松平頼常
生駒氏、松平氏
櫓、門、渡櫓、石垣、堀
国の重要文化財(北の丸月見櫓、水手御門、渡櫓、旧東の丸艮櫓)、国史跡
御殿
更新日:2025/05/13 11:28:41
高松城の見所や歴史などを紹介します。
見学情報・施設案内 情報の追加や修正
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高松城の見所は城メモをご覧ください
さらに先の週間天気予報については気象庁のサイト 等で確認してください。
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玉藻公園専用駐車場(57台)
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高松城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
高松城をベストキャッスルに選んだ団員によるオススメコメントです。たくさんある場合はランダムに表示しています。
260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
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高松城から車で20分
【わら家】さんのたらいででてくる
家族うどん
ぜひご賞味ください。
とっくりででてくる 出汁 も興味深いです。
お店の風情含めて感動したのでご紹介します。
(2025/04/04記入) すべての城活ノートを表示(1件)