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赤穂城を攻城してきました

実家に帰省するついでに(ちょっと遠回りですけど)赤穂城を攻めてきました。
赤穂城は『忠臣蔵』で有名ですが、100名城にも選ばれています。

隅櫓や大手門、本丸門などが復元されていますし、JR赤穂駅からも歩ける距離なので、わりとオススメできるお城でした。

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まずは地元グルメでもある穴子を食べました。

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そして先に赤穂市立歴史博物館へ。
ここには赤穂城の復元模型が展示されています。

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写真は撮影不可ですが、かなり大きな模型でした。
当時は城が海に面していたこともよくわかりますし、石垣を何度も折り曲げた甲州流軍学による縄張りの特徴も忠実に再現されているので先に見たほうがいいと思います。

ちなみに甲州流軍学とか甲州流築城術と呼ばれるようになったのは甲州、つまり武田信玄の流れをくむからで、じゃあなぜ滅亡した武田家の流儀が江戸時代にまで生き残ったのかというと、徳川家康の重臣であった石川数正豊臣秀吉のもとに出奔しちゃったからだといわれています。

この出奔の理由には諸説あるようですが、戦国時代は主君を7度変えたといわれる藤堂高虎のように、自分が仕える大名を見限ることは珍しくありませんでした。
ただ、数正のような重職についていた人間が敵対勢力についてしまうと、軍事上の機密事項がすべて筒抜けになってしまいます。そこで家康は(数正が知らない)武田家の軍制を採用したそうです。

その後、家康が天下をとるにつれて甲州流軍学の評判が高まっていったといわれています。
たとえば井伊直政が築城した彦根城も、その縄張りは甲州流軍学者である早川弥総左衛門が担当しており、甲州流の特徴である「馬出」を備えていたりします。

じっさいには城はふたつとして同じものがないわけで、すべての城がオリジナルであります。
だから藤堂高虎が築いた城も枡形虎口や幅広の堀などの特徴は共通しているものの、その縄張りは地形を考慮したバラエティに富んだものになっています。

もちろん甲州流も同じで、赤穂城と彦根城が同じ甲州流といわれてもピンとこないのは当然でしょうね。
ただ、赤穂城はたしか「甲州流築城術で築かれた、最後の近世城郭」として、『日本城郭検定(2級)』の問題として出題されていたと思いますので、おぼえておいて損はないですよ。

歴史博物館からはそのまま歩いて城内に入っていけます。
すぐ裏にあるのが「清水門」跡で、ここは大石内蔵助が城を明け渡して退去する際に通った門です。

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こんな感じで屋敷の跡が整備されていました。

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あと鶏が。

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お城に猫はよくいるんですけど、鶏が放し飼いになってたのは初めて見ました。

そのまま進むと、二の丸門跡に出ます。

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ここに甲州流軍学者であり、赤穂城の縄張りに尽力した山鹿素行の銅像があります。

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赤穂城は少しずつ城址の復元整備を行っていて、現在も二之丸庭園などを復元工事しています。
途中なので若干ハリボテ感があるんですけど、何十年後かに立派に復元されるとすごいことになりそうです。

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本丸門もかなり立派でした。1996年(平成8年)に復元されたそうですが、まだ白壁も美しかったです。

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この本丸門は高麗門と櫓門にはさまれた、いわゆる枡形虎口になっているのですが、ちょっと珍しい構造でした。
通常の(というよりも藤堂高虎流の)枡形虎口は高麗門を入ると、右または左に曲がった方向に次の櫓門が控えていますが(そうすることで勢いをそぐ効果が得られると同時に、正面からも側面からも鉄砲や弓矢で敵兵を攻撃できるため)、入って右前方に櫓門があるのは珍しいように思います。

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たとえばこれは駿府城東御門の写真ですが、高麗門をくぐると右手に櫓門がありますね。

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大阪城(徳川大坂城)の大手門は高麗門をくぐると左手に櫓門があります。

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この斜め前方に櫓門が控えているのが甲州流築城術の特徴なのかどうかはネットで調べたかぎりではわかりませんでしたが、こういう構造は珍しいと思います。ぼくははじめて見たかも。

本丸門をくぐると本丸跡です。
当時、本丸には本丸御殿が建てられていましたが、いまはその間取りが地面に示されています。

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ちょっと篠山城に似ていますね。

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天守台はかなり大規模のものがあります。
高さは9mもあり、これは彦根城や松本城といったお城の天守台よりも大きなものです。

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とくに天守台からの眺めが最高で、きれいに整備された本丸跡や本丸門がすべて見渡せます。

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あとは、三の丸に創建されている大石神社にも寄りました。

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参道には赤穂浪士の石像が並んでいます。真ん中は堀部安兵衛ですね。

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赤穂城は戦後、本丸に高校があったりもしたそうですが、いまはかなりしっかり整備されています。
本丸から二の丸、三の丸と歩いてまわれるので、城域の規模も実感できますし、満足度はかなり高いお城でした。

今週末、赤穂城の本丸櫓門の内部が特別公開されるそうですよ。

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