昨日は伊丹城(有岡城)を攻めてきました。
ちょうどNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』で黒田官兵衛が幽閉されているところですが、その影響もあってか平日なのに見学者がちらほら見えました(年配の女性もけっこういた)。
ちなみにこの城が「有岡城」と呼ばれたのは荒木村重が伊丹氏を追い出して、城主となった6年間(1574年〜1579年)の間だけのことで、その前後は「伊丹城」と呼ばれていました。
なのに、城址碑は有岡城。
荒木村重が織田信長に反乱して鎮圧されたあとは、池田恒興の嫡男で輝政の兄である池田元助(池田之助)がいったんは城主になりますが、信長の死後、権力者となった羽柴秀吉の命により、1583年(天正11年)に岐阜城主となると廃城になっています。
そんなわけで江戸時代を迎える前に廃城になったこともあり、現地では「古城(古城山)」と呼ばれてたくらい江戸期から「昔お城だった場所」という認識だったようで、遺構も一部の石垣などが残るのみです。
この石垣はとてもきれいに積まれているので不思議に思ったのですが、どうやら発掘調査で見つかった石垣を積み直したようです。
墓石などの転用石が見られますね。
土塁はだいたい当時のままなんでしょうね。
土塁の裏側には堀跡がしっかり確認できる状態で残っていて、ここがいちばん城跡だなあと実感できました。
有岡城は「日本最古の惣構えの城」ともいわれますが、その惣構の北端を守っていた「岸の砦」の土塁が猪名野神社境内西側にあります。
本丸(公園)から北曲輪(岸の砦)まで歩きましたが、じっさいに自分の足で歩くと惣構の大きさをなんとなく実感できるのでいいですね。
また、有岡城の戦いで守将の調略に成功した滝川一益が侵入した上﨟塚砦があったのは現在の墨染寺あたりだといわれています。
いちおう歩いていってみたのですが、とくに見るべきものはありませんでした。
あとは市内には「旧岡田家住宅・酒造」、「旧石橋家住宅」という江戸時代の住居や酒造が現存しています。
ここはよかったです。天井も高くて古民家カフェにしたら流行りそうな感じでした。
また、道路向かいのニトリの横に江戸時代の水路が復元されています。
歩いていたら荒木村重にあやかったメニューを出してる店がありました。
なんにせよ地元が盛り上がるのはいいですね。
城址公園はJR伊丹駅のすぐ前ですし、2時間もあれば惣構の端から端まで見て回ることもできます。
黒田官兵衛が投獄されていた牢獄は残っていませんが、一度は訪れておきたい城ですね。
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