昨日書いたようにアサヒビール大山崎山荘美術館で「野口哲哉展 ―野口哲哉の武者分類図鑑―」を見てきたんですが、そのあとそのまま裏にある天王山をのぼってきました。山頂には山崎城址があります。
天王山はいまでも「天下分け目の戦い」の代名詞として使われてますが(よく目にするのはプロ野球の首位争いとかですね)、その語源となったのが、ここで行われた合戦であり、いわゆる「山崎の合戦(山崎の戦い)」です。
「本能寺の変」で織田信長を討った明智光秀と、その動乱をいちはやくチャンスととらえた羽柴秀吉による合戦は、結果的に秀吉の天下取りを実現する第一歩となりました。
その合戦の際に陣を敷いたのがこの山で、合戦後には(清州会議で居城の長浜城を柴田勝家に譲ったこともあり)山頂に天守をそなえた城を築いています。それが山崎城です。
そういうわけでいちおう秀吉の居城であった期間が(短いながらも)あるので、「豊臣秀吉めぐり」のバッジにも入っています。
まあ遺構がほとんど残ってない山城跡を攻める場合はハイキングというか、登山というか、健康増進のニュアンスが強まってしまうのはいなめないのですが、すごくきれいな景色を眺められるのも山城の特長なのでオススメです。
途中、2カ所の展望台がありました。
山頂まで30〜40分は歩いてるので、足はガクガクになってるんですけどね。
だいたい5分〜10分おきくらいに展望台や、秀吉の天下取りを解説した絵図(石碑)があるので、ただ修行僧のように黙々と行軍するのではなく、けっこう楽しみながらのぼれるのはいいです。さすがハイキングコースになってるだけのことはあります。
山頂には本丸跡があって、天守台らしきものも残っていますが、建造物はありません。
この標札のまわりに積んである大量の石は、ここを訪れた人たちが勝手に置いてるみたいです。
(事前にネットで調べたら、何度も訪問してる人が「前より増えてる」って書かれてました)
いちおう当時のものと思われる石垣が少しだけ現存しているので、それは見ておいたほうがいいですね。
場所がわかりにくくて(そのくらいなにも残ってないのです)けっこう探しまわったのですが、西側の斜面にありました。
こんな感じで、とくになにがあるわけでもなく、のぼることが目的という感じですので、天気のいい日の攻城をオススメします。
山崎城の城下町でもあった大山崎町は千利休がつくった茶室である「待庵」や、秀吉が「山崎の合戦」の際に建てたとされる三重塔(宝積寺)など、たくさんの文化財がありますので、そういうのもあわせて見てまわるといいと思います。
あと阪急・大山崎駅の近くに大山崎町歴史資料館がありますので(JR・山崎駅からも徒歩圏内です)、先にこちらに寄ったほうがいいです。
「山崎の合戦」の案内はもちろん、この山崎の地が古代からの交通の要衝で、その時代の為政者たちにとっていかに重要だったかがよくわかります。散策マップももらえます。
(クルマでいく場合は、この資料館横の駐車場に停めるといいです)
秀吉ものぼった天王山。一度は攻めてみたいものですね。
[追記]
詳しいルート案内は城メモを用意してありますので、こちらをご覧ください。
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