別名 鷹岡城、鷹ヶ岡城、高岡城
弘前城は現存12天守としては最北の城です。津軽氏の居城でした。津軽信枚によって築城された当初は「鷹岡城」と呼ばれていましたが、南光坊天海のアドバイスにしたがって地名を「弘前」に改称し、城名も弘前城となりました。現存12天守に数えられてはいますが、築城当初の5層5階の天守は焼失しており、現在残っているのは後に建てられた御三階櫓です。
弘前城を訪問した2558人の報告によれば、平均見学時間は1時間39分、平均評価は3.88点となっています。
目次
弘前城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
弘前城に関するデータ 情報の追加や修正
44.4 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
3重3階
14.4 m
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250 m2
1610年(慶長15年)に津軽信枚によって築かれた5重5階の独立式望楼型天守(当時は高岡城)は1627年(寛永4年)に落雷で焼失した。その後、200年近く天守が再建されることはなかったが、1810年(文化7年)から1811年(文化8年)にかけて津軽寧親により「御三階櫓」と幕府に届けられた層塔型天守が再建された。再建時は北側に多聞櫓を付属させた複合式天守だったが、この多聞櫓は明治29年(1896年)頃までに破却され、現在のような独立式となった。天守の高さは約14.4mあり、現存する三重天守の中で最も低い。最も北に位置する現存天守でもある。
津軽為信・信枚
着工 1611年(慶長16年)
1871年(明治4年)
津軽寧親
津軽氏(10万石)
現存天守、櫓、門、石垣、土塁、堀
国の重要文化財(天守、辰巳櫓、丑寅櫓、未申櫓、三の丸追手門、三の丸東門、 二の丸南門、二の丸東門、 北の郭亀甲門)、国史跡
二の丸東門与力番所
登録日:2013/11/17 17:35:45
更新日:2024/10/03 18:27:27
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