七戸城は鎌倉末期または南北朝時代に築かれた城です。七戸南部氏の代々の居城としても知られています。1591年(天正19年)、七戸家国が南部氏一族の有力者である九戸政実とともに奥州仕置を行う豊臣政権に反抗して断絶しました(九戸の乱)。その翌年には城も諸城破却令によって破却されました。江戸時代には七戸藩(盛岡新田藩)が創設され、藩庁がここに置かれました。現在は柏葉公園として整備され、往時の曲輪、土塁、水濠、空堀などが現存しています。また本丸城門が町内の青岩寺に移築されています。
七戸城を訪問した178人の報告によれば、平均見学時間は42分、平均評価は3.13点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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